石動のブログ

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『仮面ライダージオウ』47話の門矢士と海東大樹が最高すぎたので語りたい


仮面ライダージオウ EP47 予告 Kamen Rider Zi-O EP47 Preview

 いや。
 いや、
 ヤバないですか。
 ヤバすぎないですか。
 というか見ましたか、『ジオウ』47話。
 どうでしたか。
 ヤバないですか。
 ヤバいですよね。
 スウォルツの目的とかチェイスとか世界の終わりとか、色々あったけど。
特に、ディケイド関連。
 仮面ライダーディケイドこと門矢士と、仮面ライダーディエンドこと海東大樹。
 この二人の出番、最高でしたよね。
 最高でしたよね!!!?!?!?
 叫びましたよね!?!?!!!!
 「うわあああああああああ!!!!」って!
 テレビの前で!!!!!!!!!!!!






 …というわけで、もう少し落ち着いて語ります。









第1話「ライダー大戦」
 今回の二人の活躍を語るには、その始まりから振り返らなければならないだろう、と思う。
 言うまでもなく、門矢士と海東大樹は、2009年に放映した特撮番組『仮面ライダーディケイド』の登場人物ーーーその番組における、1号ライダーと2号ライダーだ。平成ライダー十周年記念作品として作られた『ディケイド』は、「リ・イマジネーション(再解釈)」という概念を用いて、これまで(『クライマックス刑事』などを除き)交わることのなかった平成ライダーの作品群を破壊し、繋げていった。
 「登場人物コミュニケーション下手すぎだろ!」と誰もが思った『ファイズ』を学園モノに改変したり、『カブト』を「兄妹の物語」という一点にのみピントを絞り、さらにそれをクロックアップという要素で彩ったりと、その番組展開は素晴らしく、また、「平成ライダーが共演する」というお祭り騒ぎそのものに、当時『ディケイド』を視聴していた僕は心を奪われていた。
 そのお祭り騒ぎの頂点とも言えるのが第一話で、歴代の仮面ライダー、怪人が画面を埋めつくし、仮面ライダーキバこと紅渡が士にやるべきことを示し、そしてディケイドは様々な平成ライダーに姿を変え、その能力を行使する。あまりにも情報過多なあの映像は、今見てもワクワクしてしまう。




第31話・特別編「世界の破壊者」
 ただ、ディケイドを世界の破壊者と呼ぶ謎の男ーーー鳴滝、ヒロインの見たディケイドが平成ライダーを全滅させる夢、敵として現れる過去の仮面ライダーなど、「単にお祭り騒ぎってわけでもなさそうだな…」と各所に匂わせる物語も『ディケイド』の魅力で、海東大樹はその一つとして物語に登場した。彼が変身するディエンドは、鳴滝によると「いつか戦う運命」らしく、士のことを知っているような彼の素振りも含めて、視聴者はその動向に注目していたのだ。
 しかし彼は、思わせぶりなことを言っていたのは最初の方だけで、その行動のほとんどは彼の旅の目的である「お宝」のためであった。全体的に海東さんの性格には一貫性がなく、いつしか「何やりたいかよく分からない奴」というのが彼の個性とでも言うようなものになっていった。僕は彼のそんなところが魅力でもあると思うのだが、『ディケイド』という物語にそのキャラクターがプラスになったかと聞かれると、迷いなく首を縦に振ることはできない。

 その「よく分からない」が海東さんだけで済んでいたのならまだ良かったのだが、メインの脚本家が降板したからなのかなんなのか、中盤以降、9つの世界編の終わり辺りから、『ディケイド』はその方向性を見失ってしまった。重要人物っぽい鳴滝さんまでブレ始め、謎は一向に明かされず(むしろ深まるばかり)、昭和ライダーの世界ともシンケンジャーの世界とも繋がり、ライダー大戦の世界に至っては物語がほとんど崩壊しかけていた。そして最後には、全てを映画に放り投げる最終回と嘘予告。あれほど最悪な最終回を、僕は未だかつて見たことがない。

 ただ、(ここまでボロクソ言っておいてなんだが)この辺りのゴタゴタに関しては、僕個人としてはあまり思うところはない。そりゃ放送当時はテレビの前で呆けたものだが、似たような感覚は『ファイズ』で味わったし、『ディケイド完結編』でメタ的な視点を使って全てを終わらせられたのも大きい。故に、『MOVIE大戦2010』は個人的には平成ライダー屈指の神映画…というのはどうでもいいけど、ともかく「別にそんな…」という感情なのだ。




第22話「ディエンド指名手配」
 しかし、そんな僕にも、ひとつだけ許せない(というか納得できない)ことがある。それは、海東大樹、門矢士というキャラクターについてだ。具体的に言うと、「ディエンドの世界」、「ライダー大戦の世界」の二人の描写が、気に入らない。

 まず、「ディエンドの世界」。これは、海東さん自体のセリフなどはまあまあ良い。なんか色々偉そうに言う士に「分かったようなことを言わないでくれないか」って返すところとかめちゃくちゃ好みな海東さんだし、めちゃくちゃ印象に残った純一さんも物凄いキャラクターだったと思う。…が、さっき言った「士がなんか色々偉そうに言う」のが良くない、と感じる。
 「ディエンドの世界」では、終盤に差し掛かったためか海東さんのアイデンティティを提示しようとしているのだが、それが最低限の回想シーンと士の(ほとんど推測でしかない)セリフでのみ行われてしまっている。また、そのまとめ方も雑で、「兄を自分のせいで失ったため自信がなくなり、絶対的な価値を持つお宝を求めるようになった」っていうのはなんともなあ…と。結局自分の世界に戻ってきても兄を救えなかったことでちゃんと海東さんが旅を続ける理由が確保されていたのは良かったものの、正直海東さんの掘り下げに関しては蛇足だった、とすら思っている。

 「ライダー大戦の世界」はもっと酷くて、世界の融合が進み、士が精神的に追い込まれていく中、海東さんは唐突に自分の「仲間」を求め始める。アスムのセリフからそれを連想するのはいいが、流石に前フリが少なすぎるし、そのままの流れで士と友情らしきものを育んで「俺達の力だ!」とラスボスを同時攻撃で倒す、というのは頭を抱えた。常に行動原理がブレブレな海東さんはともかく(それでもこんなにも士にストレートにデレたことはなかった)、これまではずっと海東さんと距離を取り続けてきた士までキャラが変わってしまっている。ライダー大戦を見てショックを受けていたのもあるかもしれないが、それにしたって不自然な流れだし、士の相棒といえばどちらかというとユウスケのような気がする。

 この二つの世界の共通の問題点としては、海東さんと士の掘り下げについて、「終盤だから」「最終回だから」以外の理由が見当たらない、ということだ。故に強引な流れでそれを行うことになったし、物語的にもいまいちグッとこない。『ディケイド』終盤は物語がほとんど壊滅しかけていたからこそ、キャラ同士の関係性が大きな魅力であったのにも関わらず、番組の都合でそれをねじ曲げてしまったのだ。色々な要素が脚本家の降板などの番組の都合で歪められた『ディケイド』だったが、その中でも特に良くなかったなあ、というのがこの「キャラクターの破壊」である。



仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦
 ほぼ完璧だった「ディケイド完結編」を経て、平成ライダーの世界は破壊され、繋がった。たくさんのお祭り映画が作られた。様々なライダーが客演して活躍し(そして時に雑に使い捨てられ)たが、その中でも『ディケイド』の客演は多かった。お祭り映画としてはどうかと思うが海東さんならやりかねんな、と思った『スーパーヒーロー大戦』、士のあまりのかっこよさに震えた『ウィザード特別編』、真っ当なヒーローをやってる士に泣けた『仮面ライダー大戦』…そのどれもが(『ディケイド』のキャラの客演としては)見所があって、僕の『ディケイド』終盤で負った傷は少しずつ癒えていった。

 しかし、完全に受け入れることができていたかと問われると、首を横に振らざるをえない。さっきは「海東さんならやりかねんな」と言ったが、『スーパーヒーロー大戦』で海東さんがラスボスとして戦ってから一切客演がなかったのは普通に嫌だったし、『仮面ライダー大戦』などでやけに士の戦績が良くなかったのも少し気になっていた。ヒーロームーブはめちゃくちゃ決まってたんだけど、実力が追いついていなかったというか。

 それはこれまでの『ジオウ』でも同じで、ジオウと戦って撤退したりするのはともかく、士がバス運転手としてソウゴの世界に再度潜り込んだのにツクヨミ以外救えていなかったり、やけに変身回数が少なかったり、剣編は「海東さんだー本物だー」ってなったしあの意味不明な行動の再現度も高かったけど、そろそろ「響鬼の世界」の時みたいな(結果として)良い奴みたいになってる海東さんが見たいな…ってなったり、士が海東さんとスウォルツの計略でライダーの力を奪われたり、「他のライダーに比べて明らかに扱いはいいし、めちゃくちゃかっこいいのだけれど、もっと分かりやすい活躍が欲しい」という思いは、ずっとあった。でも同時に、「これは『仮面ライダージオウ』だし、そこまでするわけにもいかないんだろうな」とも思っていた。だからしょうがない、そう諦めていた。




ガンバライジング BS3-052 ディケイド ジオウ SR
 そして、この前の47話である。あれは、良いものだ。文句なしに完璧だった。神回だった。相変わらずのチート能力で時空を超える士、士がピンチになった瞬間にオーロラ使って出てくる海東さん、さらにアナザージオウIIの力を使って士を生き返らせてからの暴走(とは言っても「最後のお宝…君の命は貰うよ!」くらいなら別に言いそうではある)、「ディケイドライドウォッチに半分だけライダーの力を込めていた」というロジックで復活するディケイド(これによりあんま『ジオウ』でディケイドが強くなかったのにもフォローが入ってるのが素晴らしい)、まさかのカメンライドジオウ&「ジオウにはジオウの力だ!お前も来い!」、そしてお宝を失ってしょぼんとしてる海東さんに「全く、世話が焼ける奴だな」で手を差し伸べる→それを無視して「士、感謝の言葉を口にしたまえ」!
 や、最高すぎませんか。最高すぎるでしょ。「最っ高だな!」ってなりますよ。丁度いいツンツン具合とデレ具合なんですよ。『ディケイド』終盤ほどベタベタでもないけどちゃんと信頼関係のようなものが成り立っていて、しかし表面上は敵同士…尊い…。




 長々と語った通り、『ディケイド』は色々な都合で物語が歪んでしまった作品だった。それが『ジオウ』にて番組を乗っ取る勢いで活躍しているのは、十年前の出来事の贖罪のようなものなのかな、と思っている。今回は士と海東さんのことについて書いたが、「世界の終わり」であらゆる世界の怪人がライダー達を取り囲むシーンでは「『ディケイド』終盤はこういうことをやりたかったのかな…」とも感じた。 士の行動理由など、ちゃんと『ディケイド完結編』などの「歪められまくっても尚、『ディケイド』が迎えた結末」を蔑ろにしていないのもちゃんとしている。『ジオウ』も残り二話、流石に今回ほどのものはないだろうけど、士と海東さん、二人がどんな活躍を見せるのか、楽しみで仕方がない。