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『月姫 -A piece of blue glass moon-』 好きなシーンランキングトップ10 後編

月姫 -A piece of blue glass moon- Original Soundtrack(初回仕様限定盤)

sasa3655.hatenablog.com

(この記事は、上の記事の続きです。あくまでお遊びとして、僕が月姫リメイクの好きなシーンをネタバレありで好き勝手語る内容なのでこれから読んでも何の支障もないとは思いますが、前編から読んでもらえたら嬉しいです)

 

 

第5位

シエルルート13日目 蜃気楼 「クリスマス・チャペル」

 志貴の言葉によって自分の罪を向き合うことを決めたシエルと、自らの失われた過去だけに固執し吸血鬼となったノエル。復讐、師弟、相棒、宿敵、様々な因縁で結ばれた二人の、決着。

 このシーンに関しては、上手く言語化できないんですよ。というか、完全な理解もできていないと思う。「複雑」という一言で切って捨ててしまうには、あまりに複雑な二人の関係性。わかるのは、最期の最期までそれがほどけることなく、(少なくともノエル先生→シエル先輩に関しては)すれ違ったまま終わってしまったんだな、ということだけ。

 それでも、自分なりに落とし込めてなくても、どうしようもなくこのシーンが好きなんですよね。自分から全てを奪ったものそのもの、ロアではなくシエル先輩だけに拘り、本質を見失ってしまう姿勢。純粋な復讐のためだけの戦いを長く続けることができず(復讐対象のシエル先輩がむしろ尊敬できるような人物になってしまったこと、ロアが概念的な存在でいまいち復讐対象として捉えにくかったことが影響しているかもしれない)、自分より弱いものを吸血鬼という大義名分で殺して快楽を得なければ保たなかった心。そんな自分とは違って、冷徹な断罪者として感情なく吸血鬼を的確に殺し続けたノエル先輩への尊敬と羨望と嫉妬。だからこそ恨む気にもなれなかった彼女が志貴に救われ、個人の意思で動くようになってしまったことへの失望と憤怒。それによって解放され暴走してしまった、(先述の要因で長年解消できなかったであろう)復讐心。吸血鬼になっても縮まらない、凡人たるノエル先生とシエル先輩の距離……描かれるノエル先生の全てが、あまりにも、心に刺さる。

 本編のノエル先生はもう大分イカれてしまっているんですけど、その壊れっぷりが逆に凡人らしさを見せてるんですよね。『Fate/stay night』でもそうであったように、全体的にスケールや倫理観がぶっ飛んでる型月の世界でまともでいられるのは、そういった側面の触れないで暮らしていける一般市民か、主人公達のような根本から壊れているorたぐいまれなる素質を持って生まれた人間のみ。普通の人間が入り込んでしまったら、その平凡さが原因で耐え切れず狂ってしまう。故に型月のメイン登場人物はイカれた人間が多く、そんな人間達が織りなすドラマやテーマ性が魅力的かつ個性的なのですが、その中でわずかにいる、ノエル先生のような存在もまた、僕のような凡人の心を掴んで離さない。型月作品の本筋にはいない、でも確かにその普遍性を保っている要素が前面に出た、そんなシーンだったと感じています。

 

第4位

共通ルート3日目 反転衝動 「邂逅」

 はい、そうです。ここにきて十七分割です。頭痛に苛まれて街を彷徨っていた志貴が、アルクェイドとすれ違った瞬間に殺人衝動を漲らせ、恐ろしいまでの手際で彼女を十七個の肉片に分解してしまうシーン。ある意味『月姫』という作品で最もインパクトがあり、最も恐ろしいシーンなんじゃないかなと思ってます。

 特筆すべきは、やはりそのテキスト。アルクェイドという美しい女を切り崩し、殺害するときの甘美な感触を想像し欲情する、志貴の中に眠っていた本能的かつ原始的な快楽が一文一文から如実に伝わってきて、読んでるだけで頭がおかしくなりそうになるんですよね。自分が人間として教えられてきた倫理観や道徳観が粉々になって、その下に潜む暗くてじめじめとした欲望の存在を意識させられるような感覚。先述の通り、『月姫』はホラー風味も強い作品なのですが、その中でも異彩を放っている怖さというか、人間という動物の根源を揺さぶるような恐怖が、このシーンでは描かれてるんですね。改めて、奈須きのこさんの文章表現はすごいな、と。間違いなく、こんな怖い文章は奈須きのこさんにしか書けない。

 

第3位

アルクェイドルートエンディング 「月姫

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 上の漫画版『真月譚月姫』感想でも書いたんですけど、何度見てもやはり、アルクェイドルートのラストは美しい。「死」が見えるようになってしまったことで自らと世界に絶望してしまっている志貴が唯一愛することができた、「死」に満ちていない存在だったアルクェイド。しかし、彼女はロアとの戦いで大きな傷を負ってしまい、さらに吸血衝動も限界を迎えてしまった。自分自身の血を差し出して救おうとする志貴の言葉を、アルクェイドは「好きだから、吸わない」と曇りひとつない笑顔で拒絶し、別れを告げた。

 志貴の本質は空っぽで、実は死人そのものであること、そんな彼にとってアルクェイドが唯一希望を与えてくれるものであったことは、アルクェイドルート全体(特に、前者は10日目の学校でのシーン、後者は第9位のシーン)で描かれている。だからこそ、アルクェイドは彼に「前向きに生きていってね」と残した。自分がいなければ彼は空っぽのままで、生きることさえやめてしまいそうだから。志貴は夜が明けるまで月を眺め続けただけで手を伸ばすことはできなかったけど、月を見上げ続けてはいた。少なくとも、夜が明けるまで、彼はアルクェイドの願いを守って生き続けた。

 志貴にとって、アルクェイドの願いを守り続けることは、決して届かない夜空の月を見上げ続けることは、最早呪いに近い何かだけれど、アルクェイドや彼を慕う人々にとっては、これまでは存在しなかった、彼を生に繋ぎとめてくれるものとなる。この塩梅が絶妙で、見る度にジレンマに襲われる。救いがあるようにも、全くないようにもとれるんですよね。あなたは、どちらだと感じましたか?

 

第2位

アルクェイドルート5日目 火炎血河Ⅱ 「ヴローヴ・アルハンゲリ(Ⅱ)」

 志貴とアルクェイドが対峙した死徒、ヴローヴ・アルハンゲリ。炎を扱う吸血鬼だと思われていた彼の本質は、「寒さ」だった。彼の操る炎はあくまでその「寒さ」をやわらげるための副産物のようなものであり、追い詰められたヴローヴは、その真の力を解放した。凍り付く街、倒れ伏すアルクェイド。その光景を見つめていた志貴のとった行動は──。

 アルクェイドルート序盤の山場であるヴローヴ戦。シエルルートと異なり、本格戦闘開始前にその本質に迫れなかったアルクェイド達は、予想外の事態にピンチに陥ってしまうんですよね。それに対して怒りを覚え、ついに戦う覚悟を決める志貴の姿がかっこよすぎる……。

 何がかっこいいって、彼の戦う理由がかっこいいんですよ。漫画版『真月譚月姫』から推測すると、原作『月姫』のアルクェイドルートで今作のヴローヴ戦に相当するネロ戦では、志貴は作戦に失敗して死にかけた末に、十七分割の時みたく七夜の血(?)的なものに目覚め、殺し合いを始めるって展開だと思うんですけど(勿論その展開も別種のかっこよさがありますが)、『月姫 -A piece of blue glass moon-』における志貴は、自分の目の前で沢山の人の命を好き勝手に奪い、あまつさえ彼の大切なアルクェイドにまで魔手を伸ばそうとしているヴローヴに、一人の人間として怒りを抱き、自分自身の意思で人々とアルクェイドを守るために立ち上がるんですよね。勿論ここで逃げたって自分も死ぬ、生き残りたいなら殺せって思いもあるんですけど、「逃げれば必ず死に至る。自分はおろかこの街すべてが。」という文や、凍り付いたビルや燃え盛ったホテルの犠牲者を思い返す描写にも表れているように、彼は人間としての普遍的な善意を、大切なものを守りたいという思いも武器にして、逃げようとする臆病な心をねじ伏せている。

 これ以前のシーンの志貴は、直死の魔眼への嫌悪感と、敵とはいえ吸血鬼とはいえ、モノの命を奪うことは普通の人間がしていいことではないという意識から、全力で戦うのを避けてきたのもあって、このシーンのカタルシスはほんとにすごいんですね。ここまでは主に、切ないシーンや恐ろしいシーンを語ってましたが、型月作品の作るヒロイックかつ熱い展開も大好物です。「無理だ。」という台詞を連発して「お?諦めるのか?」とプレイヤー側に前フリさせてから「この事態を傍観するだけの度量が、判断力が、俺には微塵も存在しない────!」と盛り上げる流れといい、理性に任せて真っ当な判断をし逃げようとする独白の中に「あの女が。」「あの女が、殺される。」を織り交ぜて怒りがあふれ出していることを示す演出といい、奈須きのこさんの文章もキレキレで最高。

 

 

 

 

 

そして、栄えある(?)第1位は……

 

 

 

 

 

 

第1位

アルクェイドルート11日目 朱の紅月Ⅱ 「if」

 約束を破った罰として、志貴がアルクェイドとデートすることになったこと。そのデートの途中で、アルクェイドが「楽しいとか悲しいとか、無駄な感情が大きくなってるんだ」と不思議な相談をしてきたこと。デートの最後に訪れた公園で、アルクェイドがおかしな様子になって志貴の血を吸おうとしてしまったこと。そんな彼女の姿を恐れた志貴が悲鳴を上げたこと。そこに乱入したマーリオゥの言葉でアルクェイドが自分のしようとしたことを実感し、その場から逃げてしまったこと。マーリオゥの助言も聞かず志貴が彼女を追いかけていった先で、アルクェイドが衝動を散らすために死者を殺していたこと。力を解放した彼女の魔眼を見て志貴が欲情し、アルクェイドを襲ってしまったこと。そして、自分が志貴の血を吸おうとした挙句魔眼で暴走させてしまったことに責任と恐れを感じたアルクェイドに、別れを告げられてしまったこと。

 10日目の怒涛の出来事の結果、志貴とアルクェイドの繋がりは切れてしまった。別れを告げられたし、何故か血を吸おうとしてきたし(しかもマーリオゥの忠告やアルクェイドの様子からしてどうしようもないことらしい)、そもそも元から吸血鬼に協力する義務もないしで、志貴の前には全て忘れて普通の日常を歩むという選択肢が提示される。そんな状況で迷いを抱えた志貴が、ヴローヴとの戦いで崩落した駅前広場に足を運び、自分の心を確かめ、そしてシエル先輩の言葉でアルクェイドを取り巻く真実を知る、そんな『月姫 -A piece of blue glass moon-』でもトップクラスの名シーン。

 まずもって素晴らしいのが、志貴がアルクェイドの吸血衝動や悲劇的な過去を知ることの意味合いが、前向きに描かれていること。こんな感じのシーンは漫画・アニメ両方の『真月譚月姫』にもあって、説明の内容も大して変わっていないのですが、『真月譚月姫』の「何か恐ろしいことが起こってしまった後に、志貴が悲劇的な真実を知る」というネガティブな流れとは決定的に異なる描かれ方が、『月姫 -A piece of blue glass moon-』ではなされてるんですね。

 細かいことは聞いてないからわからない。でも、マーリオゥの助言やアルクェイドの態度、彼女の吸血鬼という性質から、10日目ラストの時点で、どうにもならない悲劇にアルクェイドが向かっているのだと、志貴はなんとなく感じているんですね。その動かしようのない現実を受け止めて身を引くか、無理だとわかっていてもアルクェイドを救うために前に踏み出すか、この二択で志貴は迷っている。

 だから、シエル先輩の真祖の吸血衝動についての説明は、あくまで実際の状況、細かい理屈を理解しているに過ぎないんですね。駅前に足を運んだ時点で志貴の覚悟は半ば決まっていて、それを現実に落とし込むための事実を頭に入れているに過ぎない。だって、そんなことは既に感づいている。アルクェイドの瀕している危機が、彼女一人の努力でどうにかなるようなものではなく、世界の根本的な法則、生物として逃れられない性質に由来するものであることをなんとなく知っている。

 そして、そこで具体的な知識を得てから、アルクェイドの兵器として意味があるものしか教えられなかった人生を知り、昨日の彼女の不可解な相談(無駄な感情がどうのってやつ)に隠された彼女の真実を理解し、だからこそ、そんな無駄を許されなかった、個人としての人格を育てる機会を与えられなかった、兵器としてしか扱われず他者との交流なんて微塵もなかった彼女が、当たり前の幸せを当然だと思えるように戦うことを決意する。この流れが、あまりにも美しい。

 また、人間として他の人を殺させないように努力した(アルクェイドと共にヴローヴから街を守った)証である駅前広場に背を向けることで「人間の道から外れても、アルクェイドが吸血鬼であっても、彼女を救う」という彼の思いを強調する演出も良いんですよね。これまでのアルクェイドルートの志貴は人間としての自分に踏みとどまり、それゆえにアルクェイドに好意を持っても「でもあいつは吸血鬼だから、踏み込んではいけない」と一歩引いてしまっていて、その結果アルクェイドに「お前本当に吸血鬼なのか」とまで言ってしまう。そんな積み重ねを覆し、自分から吸血鬼の側へと踏み出す、という形になっているのが素晴らしい。

 他にも、新キャラ達に原作でシエル先輩が担っていた部分を担当させて彼女の出番を減らしてから、満を持して志貴に助言を残すシーンをやらせることで、彼女の格とかっこよさをめちゃくちゃ高めていたり、本当にあらゆる面で素晴らしいシーンだったな、と。

 

 

 

 ……というわけで、ランキングは以上です。「ランキング記事は長くなるから今回はどれくらいかな~」と思ってたらこのブログ史上最大の文字数になってしまって初の前後編になっちゃいました……まあ書いてて楽しかったから良かったけども……もし最初から最後まで読んでくださったなら、ただただ感謝です。ありがとうございました。少しでも共感できたり、そういう見方もあるのかと思ってもらったり、未見だけど興味出たなと思ってもらえたら幸いです。

 

 

 

 

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