石動のブログ

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『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』のキラとアスランの殴り合い(一方的)、エモすぎやしませんか???

 どうも、石動です。

 先日、『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』の三回目を観に行ったんですよ。前回の感想ブログを書き終えてから初めての『FREEDOM』。といっても三回目なので、流石にそこまで大きな発見とかはないだろうなと高を括っていたんですが。

 あの、その、

 

 

 中盤のキラとアスランの殴り合い(一方的)のシーン、めちゃくちゃ良くないですか?????

 

 

 いや、良いとはこれまでも思ってたんですよ。なんなら、『FREEDOM』でも屈指で好きなシーンだったんですよ。前回の感想ブログでトリにしたくらいには重要で、感動したシーンだったんですよ。

 でも、これまでの視聴ではただただ感情面でぶん殴られていただけというか、恐らくこのシーンがどういう意味を持っていたのかを理解し切れていなかったんですね。本当に良いシーンなのでわからなくても心は十二分に揺さぶられるけど、色々考えるともっと読み取れることがあったんです。ヒルダさんが「修正してやるのが親友の役目さ」なんて台詞を言うので一・二回目の僕の脳みそは「SEEDシリーズ恒例の雑な1st・Zオマージュだ〜! その流れでキラの本音が聞けるの面白すぎるし嬉しすぎる〜!」で思考が止まってたのが、三回目にしてやっと繋がった。

 率直に言うと、このシーン、かの『SEED』の名シーン、「やめてよね」のセルフオマージュになってるんですよ。多分。

 

(「今更!?!?」という言葉は押しとどめてください。自分が一番よくわかってるんで。あと以下、一応予告で出されている以上のネタバレありです)

 

 

16.PHASE-17 カガリ再び

 SEEDシリーズを見ていてあんまわからんという人はいないだろうとは思うんですが、「やめてよね」というのは『機動戦士ガンダムSEED』PHASE-17において、キラがサイに言い放った台詞のことです。全部を書くと、「やめてよね……本気でケンカしたら、サイが僕に敵うはずないだろ……」。自分と許嫁だったフレイが、何故かキラと「そういう関係」になっている。そのことを問い詰めたサイからフレイを庇いながら、キラは冷たくそう言い放つ。

 ただ、これも見ればわかるですけど、キラは本気でこんなこと思ってるわけじゃないんですよね。この時のキラはメンタルがボロボロ。普通の学生だったのがある日突然戦いに巻き込まれ、友人を守るために地球連合の兵士として親友が所属するザフト軍と戦う羽目になり、地球に近づいてやっとのことで平和な日々に戻れるかと思ったら、(自分に選択権はあったにせよ)ずっと戦う理由だった友人達がアークエンジェルに残ったことで選択を余儀なくされる。それで戦うことを選ぶもその決断のきっかけになった女の子は死んでしまうし、そもそも以前より友人からさえもコーディネイターとして見られる扱いを受けててほんとにいっぱいいっぱいで、そこにフレイがつけ込んで優しくして共依存の関係になってる状態。

 そんな時に半ば自棄になって、ずっと兵士として「力」としてコーディネイターとして見られ続けた自分への皮肉のような形で零れたのが、「やめてよね」なんです。キラ的にはむしろ、その後の「フレイは、優しかったんだ……!」「僕がどんな思いで戦ってきたか、誰も気にもしないくせに!」が本音で。

 で、改めて振り返ってみると、キラのこの自分への皮肉・思い込みを完全に否定できた出来事って、SEEDシリーズにこれまでなかったんですよ。「力」としてすら求められてない……というより最悪な思い込みになりかねないことはあっても、その逆には至らなかった。

 

48.FINAL-PHASE 終わらない明日へ

 自分のことで精一杯で腕「力」で負けてしまったこの時のサイは当然無理だったとして、アスランラクスもカガリも、みんなキラのことを一人の人間として愛してはいたけど、明確にこの思いを否定するまでは至らなかった。だってアスランは、『DESTINY』においてキラがシンに負けるとは思ってなかったから。ラクスも、キラが落とされるとは思ってなくて、それで今作『FREEDOM』中盤においてファウンデーションにキラの撃墜許可を出したしまったのだから。

 「やめてよね」の場面に出てくるフレイに関しても、とうの昔にキラのことを理解して愛してしまっていて、というか最初はキラを復讐対象兼復讐を実現するための「力」「道具」として求めていた彼女がほとんど唯一キラの思い込みを否定できる子だったんだけど、声は届かず死んでしまった。フレイの想いはキラを守ったかもしれないけど、キラはフレイの言葉を聞くことは出来なかった。

 実際、最終回のクルーゼとの問答では、キラは(「力だけが、僕の全てじゃない!」に対する)「それが誰に分かる?」「何が分かる」「分からぬさ、誰にも!」に言い返せてない。正確に言うとこの後のやりとりも含めるとその言葉を認めたわけではないんだけど、少なくとも色々なシーンがフラッシュバックしちゃう程度には、「力」として求められた経験が、引いてはスーパーコーディネイターとして望まれたという出生が染み付いてしまってる。

 それで心壊したまま突っ走ってきたのが『DESTINY』から『FREEDOM』中盤までで、多分キラの「君らが弱いから!」は、「やめてよね」の時に抱えてた傷がまだ癒えていないという意味でもあったんですよね。「やめてよね」の時は友人を守る、フレイを守るための「力」として。『SEED』終盤以降(特に『DESTINY』でデスティニープランを否定してから)は、世界を平和にする使命を背負った「力」として、大なり小なり自分を位置づけてしまってる。

 


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 でも唯一、今回はあの時の違う点があるんです。それは、キラが自分の存在意義だと思い込みかけていた「力」でもって彼を圧倒し、ぶん殴ってくれる友達──アスランがいたこと。アスランはほんとに笑っちゃうくらい強くて、キラのパンチを一発をもらうことなく、彼の暴走を納めた(そんなアスランに「隊長は……!」と噛み付いてくれるシンもいる。ちなみに)。

 で、そこで投げかけられるのが、アスランの「ラクスは共に未来に進む者を求めていたんじゃないのか?」だったり、「ラクスさんは確かに平和を求めてはいたけど、誰かに平和をはいとプレゼントされたかったわけじゃない」って台詞なんですよ。アスランに「力」で負けて、仲間達に背中を押されて、やっとキラは世界を平和にする「力」としてラクスの望む平和を与えられなかったという後悔から逃れて、自分の「力」以外の側面を、自分自身で許せるようになってくるんです。

 そしてその果てにキラは、ラクスと「運命」「役割」を超えた「愛」を交わす。立場も何も関係なくただ純粋にお互いを愛していると、この世界を共に生きていきたいと言うことで、ついに「力」という役割から解き放たれて、互いに人間として想い合うことができるようになる。

 こう振り返ると、直接的に言及されてたわけではないけど、フレイの死によって救いの機会を失い続けたキラが、20年越しに呪縛から解き放たれる物語だったんですね、『FREEDOM』。セルフオマージュも「運命」の否定という『DESTINY』の延長線上の取り組みも何もかもと絡めて、キラ・ヤマトという人間の救済も行ってる。とんでもなく綺麗な構造。

 これを踏まえたら、もう死者でしかなくてキラに言葉を伝えられないフレイは、今回出てこないのもしょうがないのかなと少し納得してしまう。呪いから解き放たれたキラを見て満足して成仏しちゃったんじゃないかと、少し寂しくなってしまいました(まあ、それはそれとしてキラがフレイのことを忘れることはないとは思いますけどね!!)。

 

 

 まあちょっと気付くの遅かったなというのは自分的に反省してしまうんですが、それでも考えたことなんでとりあえずブログに書き殴ったのが今回でした。読んでくださりありがとうございます。

 あと何回観るかわからんけど、きっとその度に新たな発見があるんだろうな......!