石動のブログ

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『機動戦士ガンダムSEED スペシャルエディション完結編 鳴動の宇宙』を見て、気づいたこと

機動戦士ガンダムSEED スペシャルエディション完結編 鳴動の宇宙 [DVD]

 お久しぶりです、石動です。

 本当にひっさびさの更新になってしまいました。忙しいことには忙しいけどTwitterは普通に触れるくらいの忙しさで、テレビはともかく映画は月2くらいのペースで見てたのに、気がついたら半年近い時間が経ってたんですよね。ただただ自分の怠惰が憎い。憎いので、なんとか何か書かないと。

 と思って絞り出したのが、今回のブログになります。内容は、さきほど言ってた「映画」について。新作劇場版公開を記念して、8月から9月にわたって劇場公開されていた『機動戦士ガンダムSEED』の特別総集編(一部新規パート)「スペシャルエディション」、そのHDリマスター版について。個人的にSEEDシリーズはここ2年ほどに渡ってハマり続けた、直近のブログでも書いていた作品なので、比較的書きやすいかなあと。あと、見ていて単に面白かったというだけでなく、『SEED』に対する自分の認識、特に個人的に微妙に感じていた終盤に対して色々気づくことがあったので、それを中心に書いていこうかなと。スペシャルエディション自体は15年近く前の作品ですが、僕は今回初めて観たので、初見感想として楽しんでいただければ幸いです。

 

 

 

 

スペシャルエディションで通されていた「軸」

 総集編って、普通の映画とは違う意味を持つと思うんですよね。いや正確には本質は同じなんだろうけど、見る側の認識が違ってくる。少なくとも僕は、総集編映画を見る時は基本的に原作を知った上で観ている。知ったうえで、既にある原作をどう規定通りの尺に落とし込み、さらに一本の作品としての「軸」を作るのか、そこに主に興味を持って見ている。

 で、そういう視点で見ると、三部作の内最初の二部作『虚空の戦場』と『遥かなる暁』に関しては、かなり良い出来になっていました。テレビ本編の全50話を約1時間半×3に分けるという尺的に余裕がない状況の中、しっかり一本の映画としてのテーマを設定していた。

 

Zips

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 『虚空の戦場』は、テレビシリーズの開始から砂漠編までを一気に駆け抜ける中で、キラとフレイのどうしようもない依存関係が軸になってました。どちらかと言うと「戦争」というテーマによっていた序盤のお話を、その愚かさを体現した二人の過ちによってはっきりと主張する意図が見られた。シーンの取捨選択だけでなく、キラとフレイが体を交わす場面、フレイにはおぞましい打算があり、今キラが砂漠で戦っているのはその呪いを受けてしまった結果だと明かされる場面、まさかのそこで西川貴教のかっこいい挿入歌がかかる演出含めて、『SEED』序盤の核を守ったまま再構成しようという意思が感じられた。

 次の『遥かなる暁』では、キラとアスランの「かつて親友だったが陣営の違いで敵対してしまった」という関係性の行く先が全編にわたって描かれる。一度は憎しみ殺し合うまでいってしまった二人が、ラクスやカガリとの言葉を受けて、戦場にてついに友として手を取る。二人の衝突と和解を通して、平和のための対話・相互理解の可能性が示されているんですよね。二人によるオーブ脱出というクライマックスから、一気に『暁の車』でエンドロールに突入する結末も、映画としての満足度を高めていました。

 

 勿論、尺の厳しさに影響を受けたことで、流石に見ていて気になる点も出ていました。『虚空の戦場』では砂漠編の内容がびっくりするくらい薄く話の核となる「死んだ方がマシ」関連の展開も要領を得ないほどになってしまっていたり、『遥かなる暁』でもキラとアスランの和解を接着するのに大きな役割を果たしていたカガリとキラの繋がりが描かれていなかったり(というか紅海編全体にまともな尺が割かれてない、前作でフックとなってたフレイとの破綻も雑め、でも「どうしてあんたななんかに同情されなくちゃなんないのよ!」を入れてくれたのは本当にありがとう......)。

 でも、それでも尚、単品の作品としてもしっかり楽しめるほどに、『虚空の戦場』と『遥かなる暁』には自覚的な軸の意識があったと感じたのです。軸を中心に非常に綺麗にまとまっていることで、そういった細かい不満は吹き飛んだんですね。

 

 

鳴動の宇宙』の「軸」のなさ

 で。さっきから『虚空の戦場』『遥かなる暁』ばかり話題にしているけど、じゃあ肝心の完結編『鳴動の宇宙』はどうなんだって話なんですけど。

 率直に言うと、ないんですよ。軸。一本全体に筋を通すような何か。前二作から一転、『鳴動の宇宙』には、そういうものが一切ない。

 一応、「激化する戦争による悲劇をその手で止める」という筋、キラ達の目的自体は共有されている。その目的を中心に、アスランは父との対話を試みて失敗し、ラクスはプラントを抜け出してキラ達と合流し、熾烈な戦いの末にムウとナタルは散り、イザークディアッカはかつての仲間として言葉を交わし、クルーゼは世界を滅亡の道へと進め、キラは真実とフレイの死に苦悩しながらも「守りたい世界」を守る。戦争は激化し、それに応じてキラ達のドラマもより大きく動くわけだから、盛り上がることには盛り上がる。

 でも、前二作のような軸はなく、むしろそれらのドラマ・真実・バトルは、個々で発生し個々で解決していく。それら全てが絡み合って何かしらの、例えば今回の重要トピックで言えばキラの出自から明かされる「戦争と進化した人類」のテーマを補強することは、ないんですよね。

 そしてそのために、『鳴動の宇宙』は全編にわたってふわふわとした視聴感をこちらに提供してくるんですよね。明確な軸がないためにどこに視点を当てればいいのかわからないまま、それ単体では劇的で熱量のあるシーンがスクリーンには映し出される。僕は、そんな自分と作品の絶妙な温度感の差に『SEED』終盤を思い出し「やっぱり合わないんだよな終盤......」と最初はなったのですが。

 ですが冷静に考えると、これって単に自分と『SEED』終盤の相性が悪いってだけの話じゃないんですよね。むしろその逆で、「総集編にすると三部作で唯一軸が作れなかった」という『SEED』終盤の事実の意味・理由が、その性質を体現しているかのような。

 

 

 要するにこのツイートの通りなんですけど、『SEED』終盤ってある種の消化試合なんじゃないかと思い至ったんですよね。少なくとも、僕にとっては。

 

 『機動戦士ガンダムSEED』という物語の本懐。僕にとってのそれは「戦争」というテーマについての、人間の理解と不理解の話なのだけれど、そのテーマ自体は、終盤に来る前に既に描ききってしまっている。物語開始時点で示されたキラとアスランの関係が、キラが自分の意思で大切なものを守るためだけに戦うようになり、アスランが父親の正義を盲信することをやめて、まっさらな状態での友情と対話に帰結した時点で、明確な答えは出てしまっている。

 だからそれ以降の展開は、アズラエルなど明らかにわかりやすく倒しやすい「悪」が出てきて戦闘を牽引するようになってからの物語は、あくまでコーディネイターやキラに関わる設定、「戦争」のテーマを描く過程で展開されたキャラクターの関係性と人間ドラマ、激化の一途を辿る戦争の結末…...これまで描いてきた要素に決着をつける、そういう意味での「消化試合」なんですよね。勿論それらの要素がむしろ本懐だという人もいるだろうけど、僕は以前語ったように『SEED』の「戦争」に関わる描写の一体感と熱量に魅力を感じていたから、そこが終わってしまうと「なんか違うな」と感じてしまう。物語としての細かい不満や不誠実さ以上に、番組の方向性にしっくり来ない感覚を覚えてしまう。総集編としてまとめた時に、軸がなくふわふわしているように見えてしまう。「戦争」に対する答えをキラ達が出して、じゃあ実際にどうするかという話はテーマそのものの発展とは違うものだから、以前ほどの興味を持てなくなってしまう。

 勿論他にも理由はありますが、だからこそ僕は『SEED』終盤に「置きに行く」感覚と不満を感じてしまったんだなと。

 

 

 あくまで僕自身の内面での受け止め方の話なんですが、『SEED』終盤に関するこの構造に気づいた時、かなり大きな納得がありました。終盤に対する不満はかつて色々こねくり回して書いたけど、他にもこんな理由があったんですね。

 これに気づけたのは総集編という、作品の一部を切り取って再編集・圧縮したものを一気に駆け抜ける形式ならではだったので、本当にスペシャルエディションを見てよかったなと。作品として楽しんだと同じくらい、自分の中ではこの気づきをもたらしてくれのが大きかった。『SEED』終盤に対するモヤモヤが、また幾ばくか晴れたような気がします。

 

 

その他気づいた点

 それ以外にも、スペシャルエディションで改めて一気見して気づいたこと一覧。

  • 序盤の展開で意外とフレイとラクスの交流も描かれてる。特に父親を助けるために自分を人質にとったフレイ、直後に父親の死を目の当たりにした時の彼女の悲鳴は、割とラクスに影響を与えてたのかなーと。戦争のどうしようもなさを知ってはいたけど、そこで苦しみ憎しみ合う人間の心にはあの時初めて直で触れた的な。
  • テレビ版では少なくかつ間が空いていた出番が、あまり削られず総集編の中の短いスパンで出てくるからなのか、これに限らずラクスの心の動きをかなりちゃんと追えた気がする。初見時はあんまなんとも思わなかったフリーダム譲渡が今見ると激ヤバにしか見えなかったり、逆にただ混乱しかなかった「正義の名のもとに」に当たるお話も、落ち着いて見るとラクスが対話の中でアスランに個人的な期待や感情を投げかけてたり、印象が変わったシーンもいくつかあった。
  • 終盤のキラ、フレイの存在と彼女の言葉がほとんどトラウマになってるんだなあ。勿論一人の人間として約束通りまた話したいとは思ってるけど、それ以上に心の奥底にフレイの呪いが刻みついてしまってる。目を覚ました時に、こちらを心配そうに覗き込んでるラクスにベッドの上で自分に覆い被さるフレイを幻視してしまう描写、罪も業も深すぎて興奮した…...。
  • マリュー、これナタルアズラエルを止めてたこと最後まで知らず、むしろ卑劣な攻撃の結果ムウを殺した相手として憎んでる可能性あるな…...本当は全く逆なのに、全然対話できずすれ違い撃ち合ってしまうの、本当に『SEED』って感じ……あとあれで何故か生きてるムウは反省して。
  • キラとラクスが良い雰囲気になる度に気を回してどっかに行くアスラン、面白い。二人がイチャついてるのを窓越しに見て切なそうな表情はするのでラクス自体には微妙な未練はなくはないのも面白い。

 

 

 

 というわけで、以上、『SEED』スペシャルエディションの感想でした。SEEDシリーズ、TVシリーズだけでも良くも悪くも感情をかき乱されて、なんとか最後まで見終わったと思ったらコミカライズでも魅せられて、総集編にまで味がするとは思わなかったです。スペシャルエディションで気づいたこと、個人的にはかなり『SEED』の自分の関係が理解できたような気がして。なんだかんだ言いつつSEEDシリーズのことは嫌いである以上に好きなので、より深く理解する機会が得られて本当に良かったです。というところで、今回は筆を置かせていただきます。

 

 今週観た『DESTINY』のスペシャルエディション第一部もめちゃくちゃ面白かったし、本当に底が深いコンテンツ…またそっちも感想書くかもしれない…...。

 

 

 

 

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