石動のブログ

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総括感想『NARUTO -ナルト-』 あまりにも真摯な、ナルトという少年の「成長」と「継承」の物語

NARUTO―ナルト― モノクロ版 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 どうも、石動です。

 

 突然なんですが、実は自分、あんまり漫画というコンテンツが得意じゃないんですよね。嫌いとかそういうわけじゃなくて、有名どころでもマイナーどころでも読んでるものが少ないというか。好きな漫画はあるし面白そうなのを見かけたら読んでみようかなとは思うのですが、如何せん数が少なく興味も薄く、漫画特有の要素に関する読み方や語り方も知らない、といったイメージで。

 で、そんな中で珍しく興味を示して読んでみたのが、今から語ってく『NARUTO』なんですね。しかも今回が完全に初めてというわけじゃなく、昔確か妹がハマったのにつられてアニメは終盤だけ見た覚えがあるし、映画『BORUTO』は劇場で観てその完成度の高さに唸った覚えがある。というか、その記憶を頼りに映画『BORUTO』を再視聴して感動し、続いてTVアニメ版・漫画版の『BORUTO』にも手を出し、そこで「流石に前作も見ておかないと……」&友人の激推しにより読み始めたというのが今回の経緯なんですけども。

 そんな、自分にとって知らないとも知ってるとも言えない『NARUTO』という作品。かつての思い出と今ハマってる作品の前作としての立場が交差する認識の中で、自分は『NARUTO』をどう受け止めたのか。このブログで言うとアニメ版『真月譚月姫』を読んだ時のような微妙な状況ですが、だからこその理解や感覚もあるだろうと思うので、つらつらと全体の感想を書いていこうと思います。

 

(以下、ネタバレ注意です。また、今回は総括感想ということで、個々のエピソードというよりは全体の流れについて書いていこうかなと思います。個々のエピソードについては、ベストバウトランキング!やベスト場面ランキング!みたいなのをまた個別に書こうと思うので、ぬるっと物語的に重要な場面がスルーされてもご容赦ください……)

 

 

 

「先代のどの火影をも超えてやるんだ!!!」

 まず最初に『NARUTO』という作品の構造を示しておくと、主に三部で全体が構成されているんですよね。物語の始まりである「少年編」と、そのテーマや世界観により迫っていく「青年編」と、全ての決着をつける数日間の大戦を非常に長いスパンで描ききった「忍界大戦編」。

 そして当然、一巻から順番に読んでいくと、最初に少年編の物語が読者には提示される。ただ個人的な感想としては、その本当に序盤の序盤は、波の国編くらいまでのお話は、正直に言ってしまうと印象が薄くて。

 かといって、面白くないかと言われると全然そんなことはないんですよね。里で孤独に生きてきたイタズラ小僧のナルトが唯一の恩師であるイルカ先生の言葉を受けて立ち上がる最初のエピソードも、下忍となった先での「うずまきナルト」・「春野サクラ」・「うちはサスケ」の第七班に対する「はたけカカシ」のチームワークを大切なものとした教授も、任務の中で描かれる忍の厳しさも深まっていくナルトとサスケの距離も。全ての描写を非常に丁寧に積み上げて、良い意味で王道な物語が積み上げられていく。その筆致は、見ていてとても満足度が高い。

 ただ自分としては、いまいちこの作品をどう読めばいいのか、ということが分かっていなかったんですね。ナルトが主人公で彼が成長していく様を描いているのはわかるけど、その成長が一体どこに向かっているかわかっていなかった。火影を目指しているのはわかるけど、じゃあ火影になるとはどういう意味なのか、どうやったらナルトがそこに辿り着けるか、今思えば確かにあったはずの描写を掴めてなかった。それは主に自分のせいと、序盤の『NARUTO』がナルトやサスケといったメインキャラクターの関係性・魅力を主に描くことに注力していたからということだと思います。

 そして、そんな面白さを感じながらもふわふわした感覚でいたところから一転、自分を一気に夢中にさせてくれたのが、少年編中盤の中忍試験編と木ノ葉崩し編なんです。

 

 

「分身の術は……オレの一番苦手な忍術だったんだ」

 木ノ葉隠れの里と砂隠れの里で合同された中忍試験。その二日目。裏に潜む抜け忍「大蛇丸」の暗躍や厳しい試験内容を打ち破り、ナルト達第七班はトーナメント戦に進出し勝ち抜いていた。

 その中で、ナルトは同じ木ノ葉の忍である「日向ネジ」と相対する。彼は、日向という木ノ葉でも名門の一族の分家であり、一族特有の「白眼」の能力と身につけた柔拳を組み合わせ相手を戦闘不能に追い込む圧倒的な強さを持つ。そして、その実力故に「日向始まって以来の天才」と呼ばれた彼は、同時に本家の当主を守るために分家だからと自らの父が身代わりにされた過去から、この世界は才能と運命で全て決定づけられているという諦観を持ち、自分よりも弱い者を「才能がない」と見下し切り捨てるような生き方をしていた。ナルトは、ネジが本家でありながら実力に欠ける「日向ヒナタ」の努力を無碍にしたことから彼の価値観に反感を持ち、かつて落ちこぼれと呼ばれていた身で彼に真正面からぶつかっていく。

 

 ナルトとサスケに追いつかんとするサクラの覚悟だったり、そんな彼女と親友だからこそ正面から殴り合う幼馴染の「山中いの」だったり、このエピソードから新しく登場した「ロック・リー」の真っ直ぐで熱いキャラクター性だったり、個人的に中忍試験は全体的に見所が多いなと思っていて。大蛇丸の手下がコンタクトをとってくるところなんかは「味方が殺される直前で他の登場人物が乱入し間一髪助かる」展開をやりすぎてダルく感じたりはしましたが、それ以外の様々な登場人物による激突をすごく楽しんで読んでいたんですね。そんな盛り上がりが頂点に達するのが、冒頭で要約した2日目のナルトVSネジのマッチアップで。

 里の多くに「落ちこぼれ」でありながら九尾を内に秘めた危険物として扱われてきたナルトと、「天才」と褒め称えられてきたものの日向では分家という立場にいるネジ。どこか正反対のようで、似てもいる二人の戦いの中で、才能とか運命で全てが決まっているなんてそんなことはないと、たとえ落ちこぼれでも努力をし続けることで変われると、ナルトはネジの諦めを自分の力でもって覆していく。勝利を引き込んだ、今やナルトの代名詞とも言える影分身の術が、元々は「一番苦手な術だった」だったことで彼の努力と変わる現実を象徴する描写を最後に見せつける完璧な結末も含めて、このエピソードの全てに心を打たれたんですね。

 

NARUTO―ナルト― モノクロ版 12 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 で、単に心を打たれただけなら読んでる最中の感覚はそれ以前の読み方がわかっていなかった状態と同じなのですが、自分はここに来て初めて『NARUTO』の骨子のひとつを理解できたんですね。それは、「落ちこぼれで里からも疎まれていた少年が、努力によって自分を乗り越え皆に認められる」という構図。冷静に思い返したら最序盤からずっと示され続けていたそれに、「努力」とそれによる「変化」を強調した一連の展開を見ることで、やっと気づけた。

 そしてその気づきは、これまでの展開への納得や今読んでる部分への没入に限らず、物語の続きへの興味にも繋がっていく。ナルトが努力によって何かを変えていく。今回は単純な実力と心意気の面が主に押し出されていた(勿論、最後に明かされたネジの父親が自分の意思で身代わりになったという真相から、大きな意味での「運命」の否定にはなってる)が、今度はどんな要素から『NARUTO』の骨子となる構図が作られていくのか。中忍試験編から登場していた、ナルトと同じく化け物を内に宿すキャラクター「我愛羅」のことを考えると、もしかしたら次は仲間や里のみんなとの関係性でそこに至るんじゃないか。もしそうなら、具体的にどんな結論でもって我愛羅にナルトの言葉をぶつけるのか。

 一度注目すべき点がわかるだけで、物語を読むうえでの視野が一気に広がったんですね。加えてそれは、単に自分がテーマやメッセージを意識して作品を見がちだという以上に、これまでの『NARUTO』が(僕が気づけなかっただけで)常に一貫した姿勢でナルトの道のりを描いてきたという意味を持っていて。その事実に対する気づきもあって、個人的にナルトVSネジは『NARUTO』でも屈指の思い入れのあるベストバウトになってます。

 

 

「お前の気持ちは…なんでかなぁ…痛いほど分かるんだってばよ…」

 そして、その次に続く(というか中忍試験の途中で乱入する形で始まった)木ノ葉崩し編でも、『NARUTO』はその骨子を一貫して示し続けていくんですよね。

 その一つは先ほど自分が思い浮かべた我愛羅関連の展開で、当然予測される展開への期待を裏切らず、ナルトは自分と似た境遇の我愛羅に共感しながらも、仲間を思い信頼し関係を変えていくことの大切さを胸に抱いて彼に立ち向かう。見事我愛羅を打ち破り、そのうえで孤独に囚われ周り全てを憎んでいた彼を変えた決着は、ナルトと我愛羅の物語であると同時に、『NARUTO』の「落ちこぼれで里からも疎まれていた少年が、努力によって自分を乗り越え皆に認められる」構図のひとつの実現でした。九尾を身に宿しているという自身の呪いを乗り越えてナルトが積み重ねてきた仲間との友情が、我愛羅の心を救ったのだ……。

(テーマがどうこう骨子がどうこうとは関係ないんですけど、ナルトVS我愛羅、二人がそれぞれ口寄せしたガマブン太と守鶴で大怪獣バトルを繰り広げるのがわかりやすくスケールアップした感じがしてめちゃくちゃ好きです。それを実現するために、新たな師匠「自来也」の指導を受けて、ナルトが九尾からチャクラを引き出せるようになったという変化も成長の証として象徴的)

 

NARUTO―ナルト― モノクロ版 15 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 ただ、木ノ葉崩し編で示される『NARUTO』のテーゼはナルトVS我愛羅だけじゃないんですね。木ノ葉崩しというのは大蛇丸と砂隠れの里によって仕掛けられた文字通り木ノ葉を潰すためのテロのようなもの。だから「油女シノ」や「奈良シカマル」といったサブキャラクターも砂隠れの忍との戦闘で活躍が見せられるわけだけど、やはり一番の見所は計画の首謀者たる大蛇丸と木ノ葉の忍のトップたる三代目火影猿飛ヒルゼン」の戦い。両者の凄まじい忍術での一進一退の攻防や、かつて師弟関係だった二人の過去も非常に見応えがある中で、さらに『NARUTO』はもう一つ作品の骨子となる要素を打ち出してくる。

 それは、「継承」というテーマ。『NARUTO』に存在するそれが初めて明確に示されるのが、この戦いなんですね。自らの命を犠牲に大蛇丸の両腕を持っていき彼のアイデンティティたる忍術を使えなくしたヒルゼンに対して、それでも火影殺しには成功したしあなたがいなくなった後に腕を治して再び襲撃すれば全てが終わると言う大蛇丸。しかしヒルゼンは自らの死にすら悲観することなく、自分が過去から受け継いできた、仲間と共に里を守っていく「火の意志」は受け継がれていくと、次は継いだ誰かがお前を阻むと笑う。その場面と同時に先ほどのナルトが我愛羅を打ち破る場面が同時に映されるという形で、「継承」のテーマが、過去から未来に想いが引き継がれていくということが描かれる。

 この展開を初めて読んだ時、自分は描き方があまりに見事だと感じたんですよね。新たに示された作品のテーマに、ナルトの成長の構図を重ねていく。ヒルゼンの言葉と同時にナルトの勝利を描く演出は、単にナルトのような次世代に火の意志が受け継がれたということだけではなく、ナルトの仲間を思う心が我愛羅にも伝播した結末でもって、「意思が伝わっていく(受け継がれていく)」ことの証明にもなっていく。ナルトの成長はこれまでずっと一貫して描かれてきたからこそ、それとドッキングして語られる新たなテーマには唐突感はなく、むしろ説得力と納得でもって受け入れられる。

 あと、そんな細かい理屈は置いておいても、「継承」というテーマの普遍性、それを描くヒルゼンのドラマに心が打たれました。先述のシノやシカマルの活躍も嬉しかったし、戦いのスケールの大きさもそうだし、編単位だと木ノ葉崩し編が一番好きかもしれない……。

 

 

「賢いってのがそういうことなら…オレは一生バカでいい…」

 そうして無事に作品のテーマと骨子を理解して以降の物語は、格段に飲み込みやすく読むことが出来ました。四代目火影候補となる「千手綱手」を探す綱手捜索編も、親のいなかったナルトが新たに師匠となった自来也の元で愛情と修行を受け成長していく様と、綱手を通してかつて火影の夢を持ちながら散っていった先輩達の意志が伝えられる展開に着目することで、物語に感情移入して楽しむことが出来ました。

 ただ一方で、同時にこんな疑問も抱きつつあったんですよね。『NARUTO』のナルトの成長物語としての側面と、「継承」の物語としての側面。前者は火影になるまでの道のりはまだまだ遠いから全然やりようはあるけども、後者はどうなんだろうか。「継承」というテーマに対しては、木ノ葉崩し編で描かれたヒルゼンの言葉で、もう既にアンサーを示せてしまっているのではないか。「火の意志は受け継がれていく」。あの劇的な展開で描かれた結論はあまりにもドラマチックで強度が高くて、それ故に果たして以降の展開で「継承」についてそれ以上の山場を作れるのかと思ってしまったんですよね。綱手捜索編は明らかにクライマックスに向けての繋ぎのエピソードだったから良かったけど、これから訪れるであろう少年編のクライマックスでは、引いてはその先にある青年編では(朧気な記憶で少年編と青年編があることは知っていた)、一体どんな問題提起と落としどころを見せるのか。

 しかし、一読者が思う疑問など、当然物語側もちゃんと想定しているわけで。綱手捜索編以降の展開で、『NARUTO』は「継承」のテーマに対して様々なアプローチをしかけて掘り下げていくんですよね。二番煎じになんてなることはなく、むしろこちらの想像を上回るほどの誠実さで、「継承」することの意味を考え出力していく。

 

 まず、少年編のクライマックス。『NARUTO』少年編最後の物語では、初期から第七班の仲間としてナルトのライバルとして活躍してきたサスケを焦点として、「継承」や他者と繋がることへのアンチテーゼが示される。かつて慕っていた兄の「うちはイタチ」によって自分以外の一族全員を殺されて以来、彼はずっと兄への復讐を誓っていた。ナルト達との交流の中で少しずつ絆されていって、復讐以外を顧みないような姿勢は変わりつつあった彼だが、先の戦いでのナルトの急成長やナルトを訪ねてきたイタチとの再会を経たことで、再び復讐の意志を強めていく。そしてついには、中忍試験の際にその才能に目をつけて接触してきていた大蛇丸の誘いに乗り、サスケは抜け忍になってしまう。

 わざわざそんな危うい道を行った理由はただひとつ。彼にとって、過去から連綿と受け継がれていく火の意志も、その「継承」を促す他者との繋がりも、復讐の意志を鈍らせる余計なものだった。むしろ、うちは一族の持つ固有能力たる写輪眼の強化系たる万華鏡写輪眼の「最も親しい友を殺す」という開眼条件を考えると、友のナルトを殺すことはサスケの復讐に必要なことだった。

 サスケが全てを奪われた一夜の丁寧な回想でもって彼の復讐の決意の強さを示したうえで語られる決別の言葉は、何よりも変え難い重さを持っていた。同時に、一度サスケに敗北し彼の決意の強さを知っても尚、里から彼が抜け忍として扱われても尚、ずっと孤独だった自分の掴んだ繋がりを裏切りたくないと、親友を闇から救い出そうとするナルトの忍道も、サスケのアンチテーゼを経たからこその説得力を持っていた。

 

NARUTO―ナルト― モノクロ版 28 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 実は後々めちゃくちゃ重要になってくるカカシの過去エピソード『戦場のボーイズライフ』を挟んだ後の青年編では、「継承」についてさらに異なるアプローチがとられていく。ナルトの言葉を受けて人を愛する心を取り戻し風影となった我愛羅にまつわるエピソードや、シカマルとその師「猿飛アスマ」のエピソードというように、ナルト以外のサブキャラクターでも「継承」のテーマを掘り下げていく試み。少年編から暗躍していた組織「暁」の本格参戦や、その目的の中で明かされる「尾獣」「人柱力」といった用語、「忍」という戦闘を代行する存在の必要とされる、争いの絶えない世界の仕組み。それらの設定の開示と同時に、物語そのものもテーマも厚みを増して描かれていく。

 そしてそんな、青年編以降激しくなったテーマの追求とナルトの物語としての盛り上がりは、暁の最後の正式メンバー「ペイン」、彼との決着で最高潮に高まるんですね。自来也という同じ師を持つペインとナルト。過去の経験から戦争による憎しみの連鎖を支配によってなくそうとした、そのために人間らしい情も捨てて自来也を自分の手で殺した兄弟子に対して、ナルトが示した答え。

「続編はオレ自身の歩く生き様だ」「それがナルトだ」

 一時はヒナタを傷つけられた憎しみで九尾の力に飲まれてしまった彼が、自分を止めてくれた父親「波風ミナト」の想い、彼が自来也の書いていた小説からとった「ナルト」という名前、自来也が小説の中や弟子達への言葉で見せていた未来への祈りを受けて、その続きを自分自身の人生でもって描いていくと、自分が憎しみの連鎖を断ち切って平和を作って見せると、ペイン──長門に宣言した言葉は、本当に尊いものだった。『NARUTO』というタイトルの意味と重ね合いながら、自来也という過去との「繋がり」の中で「継承」と火影になって世界を平和にせんというナルトの決意を示す展開は、何よりも作品の本質を体現していた。

 

 文字数がとんでもないことになってしまいそうだったなので一気にまとめてしまいましたが、本当に、少年編終盤〜ペイン来襲までの物語・テーマのうねりってすごすぎるんですよね。特にクライマックスでの長門との対話が何よりも素晴らしくて、単純に自来也の想いを受け継ぐというだけでなく、彼の小説が重要な要素として活かされてくるのがに、思わず「そう来たか!」と膝を叩いてしまいました。「争いばかりの世界に力でもって安寧をもたらそうとするラスボスに、主人公が未来の可能性を示して説得する」というのはド王道中のド王道なんですけど、その描き方があまりに丁寧で真摯で説得力に溢れていて……あと『BORUTO』の、「そう、俺は火影を目指すわけじゃねえ。それは父ちゃんの物語だ」「オレの物語はここから始まる」とか、「名前」を奪われてなお「オレがうずまきボルトだ、クソったれ」と立ち上がる第一部ラストの展開とか、これを意識したものなんだなって感慨深くなって……。

 

 

「自分を信じてみようと思うんだ。里の皆に信頼されてる自分ってのをよ」

 で、あともうひとつ語りたいのが、『NARUTO』の持つ真摯さ。先ほどもその表現が出てきたように、僕は『NARUTO』の全編に対して非常に真摯な物語だという印象を持っているんですね。作品の中で描かれる世界、世界の中で生きていくキャラクターに、とにかく真摯に向き合ってる。物語の都合でキャラクターを歪めたり誘導したりというのがほとんどなく、都合が悪いことからも決して逃げはしない。正確に言えばこの後の忍界大戦編での「ヤマト」や「みたらしアンコ」のアイテムみたいな扱いや青年編での第七班・第十班以外のナルトの同期の影のうすさなど、出番という意味では思うところはあれど、メインとなるキャラクターの心情、特にナルトに関してはとことん真摯に向き合ってる。

 その特徴はここまでのキャラクター描写にも見られるのですが、それ以上にペイン編以降の展開で目立ってくるんですよね。ここからナルトは、師や友に恵まれ前に進めた自分とは対照的に、復讐に突き進んだ先で里のために自らを犠牲にしたイタチの真実を知り兄にそんな決断をさせた里を憎む方向へと突き進んでしまったサスケと、彼を想いながらもナルトのために全てを断ち切ろうとするサクラを止め、自分がサスケの憎しみの全てを受け止めることを誓うことになる。それと同時に暁を裏から操っていた「うちはマダラ」の宣戦布告による忍界大戦が起こり、その初日の修行で強さを手に入れるために自らの闇と、「幼い頃は九尾を身体に封印された身だったために迫害されてたのに、今は里の英雄だと手のひら返しで称えられている」という事実と向き合うことになる。

 前者も後者も、ナルトに関わるどうしようもない現実にスポットを当てた展開なんですね。前者は、かつてサスケを連れ戻すと決意した時からどうしようもなく過ぎてしまった年月を。後者は、ナルトの孤独を強調するためか第1話で示されていた描写を。メタ的な意味では、前者はともかく後者は都合が悪いから触れないこともできるのに、そうはしない。自分の描いたものから一切逃げることなく、真正面から向き合ったうえで答えを、それでも「里の皆から信頼されている」ということを軸としたナルトの他者と自分への赦しを描いてる。

 そうまで真摯に向き合われると、一読者としてもすごく嬉しいし、自然と作品への愛や思い入れも大きくなっていくんですね。ナルトの物語として妥協が全くないというのが、読んでいて本当に安心できたし、作品を楽しめた要因でも大きなものなんじゃないかなと思います。

 

 

「だから忍び耐える者…忍者なんだろ俺達は」

 長く続いてきた『NARUTO』の物語も、忍界大戦でいよいよクライマックスを迎える。結構世間的にはその長さから苦言を呈されがちな忍界大戦編なのですが、個人的にはかなり楽しんで読むことが出来ました。週刊連載で追いかけるのでなく後追いで駆け抜けたからという以上に、やはり、「周りから認められていくナルトの忍道」「継承」という作品のテーマを、「真摯」な態度で最後まで貫き続けてくれたからこそ、一切の落胆なく熱中できた。

 というわけで最後に、終盤の怒涛の展開の中で、自分が一番心打たれたものについて語って終わりにしようと思います。僕が、作中でもトップクラスで真摯な眼差しでナルトの成長と「継承」を見つめ弾き出されたものだと勝手に思っている展開。先ほど語った『NARUTO』の真摯さの象徴のように感じているのは、ネジの死周りの描写です。

 勿論(と言っていいのか……?)、これまでの『NARUTO』感想で数多語られてきたように、ネジの死自体には「唐突だな」という感覚は否めない。これはネジに限らないことだけど、青年編では少年編と異なりシカマル属する第十班を除いたナルトの同期のほとんどがまともな出番も活躍もなく、そんな中で突然物語の重要な場面に出てきて死んでしまっても、はっきり言って気持ちがついていかない。こういう役回りがあると想定していたなら、ちゃんと物語の中でネジというキャラクターにもっと存在感を持たせておくべきだったとは、思う。思うんですが、それ以上に、その後の展開、ネジの死をいかにしてナルトが乗り越えていくかという部分には、本当に胸を打たれてしまったんです。

 

 自分の攻撃からナルトとヒナタを庇って死んだネジを前に、同じくナルトのために死んだ数多の忍連合の死体を前に、暁を裏から操っていたうちはマダラ……のフリをしていた「うちはオビト」はこう語る。「”仲間は絶対殺させやしない”と言ったお前のその言葉…さあ…辺りを見て…もう一度言ってみろ」「これからコレが続く…お前の軽い言葉も理念も偽りになる」「ナルト…この現実に何がある!?」。

 かつて自分の身を犠牲にカカシを救い、想い人だった同じ班の仲間「のはらリン」を守ることを写輪眼と共にカカシに託したオビトは、その後リンが忍同士の戦いの中で命を落としてしまった真実を知り、世界に絶望していた。争いと憎しみが渦巻く不安定な現実をなくし、皆を理想の夢の世界に閉じ込める「無限月読の術」を発動せんとする彼は、いわば作品の「継承」とナルトの成長の中で重要視されてきた他者との関係に対するアンチテーゼなんですね。かつてのサスケよりも苛烈な形での。

 ここで『NARUTO』はオビトを通してナルトに語りかける形で、自らの「想いは継がれていく」という言葉に一度クエスチョンを投げかけている。「じゃあ、もし意志を継いだ誰かが失敗したら、どうなってしまうのか」「その繋がりは呪いとなり、渡した者にとっても継いだ者にとっても辛いだけなんじゃないか」と。そして、主人公たるナルトも、ネジの死をもって尊い想いが必ずしも全て守られる訳ではない冷たい現実を知ることになる。

 

NARUTO―ナルト― モノクロ版 64 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 まず、この問いかけの時点であまりにヒリついた追求を感じました。『NARUTO』の持つ真摯な姿勢。都合の悪いことから逃げず、むしろ真正面から取り上げてナルトにぶつけていく描き方。オビトの言葉は極端ではあるけれど、でも「継がれたものを取りこぼしてしまったら」「繋がりを失ってしまったら」という脅えは、確かに誰の中にもあるものです。ナルトが親と自来也からもらった名前を大切にしていたのとは対照的に「うちはマダラ」を名乗り穢土転生で本物のマダラが現れた後も自らを何者でもないと呼んだり、その一方で幼い頃の性格や夢はナルトそっくりだったり、オビトとナルトの対比・重ね合わせが徹底していたことも相まって、彼の問いかけは本当に心にのしかかってくる。

 だがそれでも、ナルトの心は折れることはなかった。ヒナタの叱咤を受け、仲間達の想いを背負って、再び立ち上がった。確かに、現実には痛みも悲しみも溢れている。きっとこれから平和を目指す道のりの中にも、いくつもの別れは待ち受けている。でも、だからこそ、本物の痛みを胸に抱いて前に進みたい。その痛みと傷に耐えて、受け止めて、前に進むことこそが、「忍び耐える者」──忍としての唯一の道なのだから。そう言って、オビトの示す夢幻に包まれて全てを忘れる選択肢を真正面から断ち切った。

 

 先ほど語った問いかけの緊張感を踏まえて示されたこのアンサーに、自分としてはただ感涙でした。「忍」という作品の核となる要素と、何よりナルト自身の成長でもって、「継承」「繋がり」に提示されたアンチテーゼを乗り越えていく。痛みも悲しみも、むしろそれこそが過去との「繋がり」なのだとネジの記憶を胸に刻みつけるナルトの姿には、見惚れるしかなかった。展開としては王道なんですけど、それをテーマとキャラクターを絡めてここまでやり切ったことに、拍手を送りたい。前述した・また後述するサスケからのアンチテーゼにはナルトとサスケの関係に着目したエモーショナルな決着を見せるからこそ、ここでどこかロジカルな形で壁を乗り越えるアンサーには、それとは別種の熱が籠る。

 あとこの場面、自分的にはナルトが「らしく」前に進んだということが本当に理解出来るのが嬉しいんですよね。ナルトは昔は孤独だったが故に、やっと掴んだつながりに対しては依存に近い執念を見せている部分もあった。良くも悪くも、サスケを追いかけていたことなんかに対してもその傾向は含まれていたのですが、この展開でナルトは、「繋がりを決して離さない」根本は守りながらも、ネジや仲間達を失ってしまったことをちゃんと受け止めている。きっと少年時代には受け止め切れなかった重みを、確かに。ネジの死を前に一度は心折れそうになってしまっていたように、本当に大きな悲しみがあったけど、そのうえで痛みを繋がりとできている。

 そこに至るまでにはきっと、一度サスケを抜け忍にさせてしまったこと、ペインとの戦いの中で憎しみの連鎖を知ったこと……これまでの全てが影響しているはずなんです。それを想うと、テーマの掘り下げとしての意味も含んだ色々が一気に染みてくる。また、最初の方で述べたようにネジとナルトの関係性は自分に『NARUTO』の読み方を教えてくれた思い出深いものなので、(その死自体には不満はあるけれど)彼の最期がここまで大きな意味を持つことに個人的な感慨も抱いてしまう。

 自分的に、一連の流れは忍界大戦編、引いては『NARUTO』という物語でも特に強く、心に残っています。

 

NARUTO―ナルト― モノクロ版 72 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 そうして、「ナルトの成長」でもって「継承」のテーマを「真摯」に描き出す名シーン、自分的には『NARUTO』に熱中するきっかけをくれたキャラクターの死を経て、長く続いた『NARUTO』も終わりへと向かっていく。

 自らの過ちを認められたイタチと、彼の答えによって今の自分を見つめ直し新たな目標を立てたサスケとの再会・共闘には、イタチからサスケへのコミュニケーションに思うところがあっただけに、改めて告げられたイタチの最後の言葉に心が震えた。

 オビトとの決着は、青年編で同期のほとんどが空気なせいでみんなの力を合わせる展開に重みがなかったのが残念だったけど、「同期の皆が九尾の尾の一本一本となりサスケの須佐能乎は鎧となり皆で必殺技を放つ」「十尾と化したオビトにそうして穿った穴から綱引きで尾獣を取り戻す」という画は最高にキマっていて無理矢理にテンションをぶち上げられた。

 開示された大筒木インドラ・アシュラの因縁には、「やりたいことはわかるけどそれ(インドラの魂が宿ってた)じゃナルトが落ちこぼれって設定が台無しにならないかな!? というかナルトの道のりが運命づけられてたみたいで普通に嫌!」となりつつも、チャクラという根本の設定まで巻き込んで決着をつけんとする作品の覚悟を感じた。

 その登場こそ唐突だったもの(オビトとリンの人生を利用したマダラもまた誰かの道具だった、というのが大事なのはわかる)、規模のでかい能力に対して旧第七班+ナルトに想いを託したオビトが個性をフルに活かして立ち向かう大筒木カグヤ戦は、最終決戦としてとても盛り上がった。

 かつてと同じ終末の谷で、あの時以上に孤独へと突き進むサスケとそれでも友情で手を伸ばすナルトの戦いは、二人の「繋がり」が火影へのスタンスを通じて再び「継承」の対比と重なってくる構図は、最後にナルトとサスケの関係性に帰結したエモーショナルな結末(サスケのモノローグで締めたのが個人としての尊重の何よりの証)は、最後の戦いとして何よりも相応しかった。

 そして物語のエピローグ、火影となったナルトが五影会談に向かう場面で、物語は幕を下ろす。忍界大戦を経て手を繋いだ五里。それでもまだ山積みな問題を解決し、里のみんなの未来を守っていくために、ナルトは今日も火影として立っている。

 

 振り返ると『NARUTO』という物語は、道筋自体はとても王道なものだったと思います。一人だった少年が、努力と成長でもって仲間との絆を掴み取り、皆に認められていく。その感想を語っていくにあたって何度も「王道」という表現を用いた。目新しさよりは、安心感や既視感の方が勝る筋ではあった。

 でも同時にこれまで語ってきたように、『NARUTO』はナルトの努力と成長を何よりも丁寧に、彼が掴み取る絆を「継承」のテーマとして何よりも一貫して描いていった。その真摯な姿勢があったからこそ、最終回、ナルトが息子の「うずまきボルト」の悪戯を注意する場面で、思わず涙がこみ上げる。今度はナルトがそちら側に回ったんだと、ナルトは多くの想いを引き継いで大人に、火影になったのだと、彼らの物語が「人生」として受け止められる。

 色々語ったけれど、自分にとって『NARUTO』はとても真摯な物語でした。

 

 

 

 

 

 

 というわけで、とりあえずは最後まで語り終えたところで、筆を置こうかなと思います。長期にわたって連載していた作品なので、どこを語るかどこを語らないかという部分がすごく難しかったのですが、自分なりに注目してきたところが何とか伝われば幸いです。

 あと、全部読んだうえで改めてきっかけとなった映画『BORUTO』を見たのですが、もう、なんというか、感無量としか言いようがなかったです。読んでよかった、『NARUTO』。次は好きなシーントップ10を書こう。

sasa3655.hatenablog.com

 

 

 

おまけ

(ナルト×サクラという既に可能性を絶たれた幻想を、そうと知ったうえで追いかけてしまった者の末路)

(最初は「サクラは全然サスケのこと好きなまま」と理解していたのに、青年編初期の二人の危うさを伴った関係性とヤマトの発言に脳をやられてしまって、最終的に亡霊と化したという経過が非常にわかりやすいですね)