石動のブログ

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感想『シン・仮面ライダー』 仮面ライダーの誕生と継承

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 どうも、石動です。

 仮面ライダー生誕50周年を迎えた2021年に公開が発表された、『シン・仮面ライダー』。自分は仮面ライダーが好きで、かつ庵野秀明監督のファンでもある(いや『エヴァ』と『シン・ゴジラ』くらいしか見たことないのですが…『トップをねらえ!』とか見たいとは思ってるんですけども…)ので、そんな大好きなシリーズと監督がタッグを組むということで、約2年前のその日からずっと楽しみにしていました。していましたので、先月に公開されてすぐに最寄りの映画館に駆け込み、劇場で庵野監督が紡ぐ「仮面ライダー」の物語を浴びてきました。

 というわけで、公開から1ヶ月経ってしまったタイミング、かつ初代仮面ライダーを未視聴の身ではありますが、『シン・仮面ライダー』の感想を書いていこうと思います。以下、映画本編のネタバレありです。

 

 

 


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 まず、ゴチャゴチャと話がややこしくなってくる前に一言で総評を言うと、ものすっごく良かったです。どうにもネットでは賛否両論気味っぽい今作ですが、個人的には年間ベストに食い込むレベルの傑作でした。ヒーロー映画として、庵野監督作品として、「仮面ライダー」の物語として。僕が求めていたものを、予想を上回るような出力で出してくれた。ただただ圧巻でした。

 次に、じゃあ具体的にどこがどう良かったんだという話になると、これまた本当に沢山あって。仮面ライダー達のアクションがバチバチに決まってるうえに全部方向性が違って楽しいとか、庵野監督が演出し浜辺美波さんが演じるルリ子があまりに可愛すぎるとか、仮面ライダー第2号こと一文字隼人の陽性のキャラクターや台詞回しが良すぎるとか、SHOCKERの「一部の人間を救済し幸福を追求させる」理念が「それぞれの理想(幸福の形)を持つ個性豊かな怪人達と仮面ライダーが順々に対決・衝突する」構成を理屈付けしているところとか。

 あと、暗い暗い言われてるショッカーライダー戦もギリギリ「暗すぎて見えない」にはならないラインに調整されていたと感じたし、初のダブルライダー共闘と2人揃ってのポーズ、「行くぞ本郷!」「ああ、一文字」がかっこよすぎたので個人的には一番の爆上がりポイントでした。声出そうになりました。

 

 

 

シン・仮面ライダー

 ただ、それらの細かいポイントも良かったのですが(特にアクション、チョウオーグ戦の泥臭いアクションとか、イチローと本郷と一文字が力を持っただけの「人間」であり、その理念のぶつかり合いは泥臭くなければならないという強い意図が感じられてめっちゃ好き)、僕が一番感動したのは別のポイントだったんですね。むしろ、この特徴があるからこそ上記のような好きポイントが成立したとも言える。

 それは、「本郷猛という人間に向き合った物語になっていた」こと。当然と言えば当然だけど、『シン・仮面ライダー』は主人公である本郷猛の生き様を、真摯なまでに丁寧に描いている。藤岡弘、さんの影響が大きい、超人然としたパブリックイメージの「本郷猛」とは似ても似つかない、等身大の優しくて不器用な青年。彼が強すぎる力に怯え、戦いに躊躇いを覚え、しかし覚悟を持って拳を握って「仮面ライダー」を名乗り、その覚悟と優しさでもってルリ子や一文字と信頼を築き、自身の絶望を乗り越えてイチローの心を救い、「仮面ライダー」の称号を未来に継承する。その道程が、本郷の心の変化が、映画の最も大きな柱として中核に立っている。

 その、見ていて彼の人間性を理解し、そして好きにならざるをえなくなるほどに真に迫った描写(この辺に庵野監督脚本のナイーブな人間描写が活きていて良い)はそれ単体だけでも本当に素晴らしいのですが、今作が「仮面ライダーの称号を一文字が受け継ぐ」結末を迎えることでもう一つの意味を持つんですよね。どうにも萬画版オマージュらしいこのラスト、僕は「仮面ライダーの称号は現代にまで受け継がれている」という意味も持っていると思っていて。

 

 

S.H.フィギュアーツ 仮面ライダー(シン・仮面ライダー) 約145mm PVC&ABS&布製 塗装済み可動フィギュア

 今作を通してその生き様を見せつけた本郷猛。彼が名乗り築いた「仮面ライダー」の称号は、彼の死後も一文字隼人に、「仮面ライダー第2号(第2+1号)」に受け継がれた。SHOCKERとの戦いはまだまだ終わっていない。だからこそ、「仮面ライダー」は未来へと受け継がれていく。現代、「仮面ライダー」の名を持つヒーロー達が毎年誕生し、世界の平和と子どもたちの心を守っているように。

 「仮面ライダーと悪との戦いは終わることがない」「今も新たな仮面ライダーは生まれ続け、人々の中にヒーローの代名詞としてあり続けている」。前者は石ノ森ヒーローとしての、後者は現実での立ち位置におけるメタ的な「仮面ライダー」の特徴・本質ですが、『シン・仮面ライダー』の「本郷が一文字に仮面ライダーの称号を託し(ヘルメット内にはいるけれど)、そして生まれた新たな戦士がSHOCKERとの次の戦いへ赴く」結末は、その両者を体現しているんですよね。一文字が本郷のヘルメットを受け取った「第2+1号」の状態で、「仮面ライダー」が明確に「次」に受け継がれる称号となったことで、初めて最も有名な鮮やかなグリーン色の「仮面ライダー」の姿になるところも含めて。

 で、ここが一番グッときたところなんですけど、『シン・仮面ライダー』は、この結末を描くまでに非常に丁寧に本郷猛の人間描写を積み重ねてきていた。だからこそ、観客が彼の苦しみと絶望と覚悟を理解しているからこそ、先述の文脈が成立しているんですよね。『シン・仮面ライダー』はあくまで現代に成立した完全新作で、そんな作品が仮面ライダーの50年の歴史の本質を総括するのにはそれに値するだけの説得力がないといけないけど、この映画の本郷猛という主人公は、彼の見せてくれた弱さと強さは、50年の歴史の重みに対して一切の見劣りをしなかった。

 この映画単体として、「仮面ライダー」というヒーロー・コンテンツの核にあるものを、しっかりと物語の文脈を乗せて描く。この真摯な姿勢に、僕は胸を打たれたんです。それどころか、「仮面ライダーの称号は現代にまで受け継がれている」メタ的な文脈に対して、「そうか…本郷が名乗った名前は、一文字に託したバトンは、僕が生きてる現代にまで来てるんだよな…僕が見てきた仮面ライダー達は、本郷が繋いだ正義を受け継いできたんだな…」と感慨深くなってしまうほどでした。

 別に直接的に繋がってるわけでも本当の原点でもないのに、何故かそういう感覚を覚えてしまった。もしかしたら初代から仮面ライダーを知っている人はこんな気持ちで平成ライダーや令和ライダーを見てきていて、『シン・仮面ライダー』は初代を見たことがない僕のような人間にもその感覚を擬似的に共有させる、歴史や歳月の追体験・再現的な試みを含んだ物語なのかもしれない。

 

 

 

 と、いつものようにややこしい屁理屈を捏ねてしまいましたが、総評としては最初に言った通り最高に面白かったです、『シン・仮面ライダー』。文脈的にも、キャラクター的にも、アクション的にも、仮面ライダーがとっても「かっこいい」、そう魅せるために仮面ライダーというものに真正面に向き合った作品。今作を送り届けてきてくれた制作スタッフに感謝しかないです。ありがとう…庵野監督、シン三部作(エヴァ含めると四部作?)は終わってしまったけど、まだまだ新作待っています…。

 

 本当に関係ないのに、現代の仮面ライダーである『ギーツ』を見る時も「本郷…」と謎に感慨深くなってしまいそうな気がする。