石動のブログ

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『仮面ライダーグリス』は、『ビルド』の払った代償に釣り合っていたか

 仮面ライダーVシネマ・小説における作品展開は、作品に新たな進化をもたらすことができる貴重な機会であると同時に、大きな代償を伴う、諸刃の剣でもある…と、僕は思っている。その代償とは何かという話だが、極端な話、「Vシネマ・小説における作品展開そのもの」が、とても大きな危険を孕んでいるのだ。

 基本的に、Vシネマ・小説の続編展開で描かれるのは、本編最終回の続きである。本編以前・本編中の出来事をメインに据えたものもそれなりにあるが、多くの場合は何かしらの形で本編後のキャラクターが絡んでくる。その行為は、(続編前提のものもあるとはいえ)一度完結した作品を破壊することと、ある意味ではイコールなのである。

 

 

仮面ライダービルド Blu-ray COLLECTION 4<完>

 特に、仮面ライダービルドの『NEW WORLD』が支払ってきた代償は、とても大きいものだと言える。『ビルド』は、その最終回において、平行世界の地球と融合するというあまりにもイレギュラーな方法で新世界を創造してこれまでの戦いを「なかったこと」にする、という結末を提示した。その結果、犠牲になった人の救済と全ての元凶の消去は完了され、桐生戦兎と万丈龍我は「ふたりぼっち」になった。

 正直、個人的な想いとして、『ビルド』の中盤から終盤にかけての展開には、あまり良い印象がない。敵はずっとエボルトだし、クライマックスに突然ロストボトルの設定をぶっ込んでくるし、名前を変えては同じようなデザインのスマッシュが何回も出てくるし、何の理屈も説明されないまま葛城巧と戦兎の人格は頭の中で共存するし、物語のテンポも普通に悪い。上述のエボルトを倒す方法も割と唐突に出てきたし、「戦いをなかったことにする」というちょっと躊躇しそうなことが行われるのにも関わらず、登場人物がその是非について話し合うことが全くないのも気になった。

 ただ、その結末の美しさについては、認めざるをえないなあ、と思っていたのだ。みんなの中の自分の記憶と引き換えに救われた世界を、たったひとりで見つめる戦兎の前に、彼と同じように世界に拒絶された万丈が、彼の唯一の相棒であり、「桐生戦兎」の人格の一旦すら担っていた万丈が現れるところなんかは込み上げてくるものがある。みんなが幸せになってるシーンもなんだかんだで「良かったなあ…」ってなるし、ずっとぶーぶー不満を言ってたのに反則級の結末で口を塞がれた感じだ。

 だからこそ、その結末の続きを描き、あの美しさを壊す可能性があったビルドのVシネ展開に、とても不安を感じていた。『仮面ライダークローズ』の予告を見た限りでは本編中の出来事というわけではなさそうだったのも拍車をかける。そしてついこの前、『仮面ライダーグリス』を観賞する直前に、覚悟を決めて『クローズ』のブルーレイをレンタルした。

 

 

ビルド NEW WORLD 仮面ライダークローズ

 感想としては、「やっぱりかあ…」の一言であった。平和な世界に現れる新たな脅威、あっさりと記憶が戻る仲間達、さらにはまさかのエボルト放置エンド。『クローズ』によって、あの最終回の余韻は木っ端微塵に破壊された…そう言っても、過言ではない。少なくとも、僕はそう思ってしまった。

 しかしその一方、作品の描いたテーマは、とても『ビルド』らしく、かつ完成度の高いものだったと思う。具体的に言うと、今作のヒロイン(?)である馬渕由衣と、万丈の物語についてである。

 前の世界で、万丈に、仮面ライダーに助けられず、それどころか認識すらされずに戦争の犠牲になっていった馬渕由衣。また、同じ目にあっていた子ども達は、新世界でも眠りについたままでいた。仮面ライダーを憎み続ける彼女に、万丈は言い訳をすることなく、「今度こそ救う」と、ただひたすらに闘志を燃やし、キルバスに破壊されそうになった地球を、かつて助けられなかった馬渕由衣を守った。

 『ビルド』本編中盤にメインで扱われ、全てを描くことなく次のステージにシフトさせられた「戦争」というテーマに再度スポットライトを当て、万丈龍我という熱く真っ直ぐなキャラクターを通して答えを出す。この描写が、本当に素晴らしかったのだ。あの結末を破壊してまでやることかと言われると言葉に詰まっちゃうのが本当のところではあるけれど、「せっかく続編をやるんだから」と、与えられた機会を最大限に活かそうとする気概が、作劇の中に満ち溢れていたように思う。

 

 

ビルド NEW WORLD 仮面ライダーグリス

 というわけで、である。ここからが本題だ(めちゃくちゃ前置きが長くなっているが、できることなら最後まで生暖かい目で見守っておいて欲しい)。

 そんなことを勝手に感じ取った僕は、『ビルド』の見せてくれる新たな物語に期待しながら、『仮面ライダーグリス』を観に行ったわけだが…端的に言うと、駄作だった。「これでいいのか」という言葉が出てきてしまうような、そんな作品だった。

 たかだか「フラれたから顔向けできない」なんて理由でカズミンが戦うのを躊躇したり、人質がいるのに真っ向勝負したり、作品のリアリティが時々怪しくなるのはまあいいだろう。

 「『クローズ』を乗り越えたんだし、もう最終回の余韻もへったくれもないよなー」とか高を括っていたら、記憶を取り戻してあらたな関係を構築し始めるキャラクター達の描写を食らって心が悲鳴をあげたのも、しょうがないと言えばしょうがない。予告から想定できなかった分下手したら前作よりダメージがでかかったような気がするが、『ビルド』の続編展開とこの問題を切り離すことは出来ないだろう。だから、それについては文句は言わない。なんてことはない、『クローズ』のように、『ビルド』の破壊したものに見合うだけのものを見せてくれればいい。それはとても難しいことだが、『クローズ』をつくった人達ならできるだろう。

 と、そう思っていた。思っていたのだが…。

 

 

 

ガンバライジング/ライダータイム2弾/RT2-051 仮面ライダーグリスブリザード LR

 いや別に、『グリス』にだって、『クローズ』のように与えられたチャンスを活かして、物語をさらに掘り下げていくような取り組みをしようとしたような感触はあった。中盤からの展開は、確かに『ビルド』を新たなステージへ連れてっていってくれる未来を予感させたのだ。

 旧世界の記憶を取り戻した浦賀啓示のつくったファントムスマッシュの脅威に、唯一変身能力を奪われなかったカズミンと三羽ガラスは立ち向かうが、彼の変身したメタルビルドに返り討ちに会う。怪我で動けない三羽ガラスを置いたまま、みーたんを人質に取られたカズミンは単身敵の本拠地へ突撃、「あの時」のようにグリスブリザードへと変身するも、ファントムスマッシュの不意打ちをくらってファントムビルドの誕生を許してしまった。そんなカズミンの前に万丈が現れ、三羽ガラスがその命を犠牲にしてつくったパーフェクトキングダムを彼に手渡す。三羽ガラスに想いを託されたカズミンは新たな姿に変身し、仮面ライダーの戦う理由を叫びながら、仲間達と共にファントムビルドとファントムスマッシュを一掃した。

 この一連の流れで描こうとしたものは、きっと「グリスブリザードという、独りよがりな力の否定」と「仮面ライダーとは何か」なのだろう。後者はビルドライダー最強フォーム(エボルト除く)全員集合とカズミンのセリフだけで押し切っていたからおまけのようなものだろうが、前者のテーマの掘り下げはとても重要視されていたことがわかる。

 メタルビルドの容姿がほとんどカズミン達のトラウマで、敗北の象徴であるハザードフォームだったのは唸ったし、本編と同じようにグリスブリザードに大きな変身リスクが伴うような描写がされていたのもとても好感触だ。「グリスブリザードの否定」は、物語の流れだけならば、それなりに達成されているように見える。

 しかし、だ。どうしても僕には、作中の描写だけだと、グリスブリザードとパーフェクトキングダムの間に大きな差があるようには思えないのだ。というか、スペック以外の要素が類似しているようにすら見えてしまっていた。

 その大きな要因としては、パーフェクトキングダム変身の流れがやたらと既視感があることに尽きる。本編でも、カズミンは死に際の三羽ガラスに想いを託されてからずっと仮面ライダーとして戦ってきたし(故にこそ中盤から急に話の規模がでかくなってもブレずにいることができた)、たったひとり、決死の覚悟で戦いに向かった男の元に仲間達がやってくる展開も、カズミンが叫ぶ「仮面ライダーはみんなの想いを託されている」論も、人物の立ち位置や言い回しこそ違うものの、『ビルド』本編で幾度となく(もはやしつこいまでに)行われてきた光景に過ぎない。人によってはそれを「ビルドらしさ」と捉え、プラスの評価を下すのかもしれないが、個人的には本編の焼き回しとしか感じられず、そもそもあの結末が完全に破壊されている時点で形だけの『ビルド』らしさを提示されてもしらけるだけでは…と思ってしまった。

 結果として、2つのフォームの違いはあまり実感できず、「グリスブリザードという、独りよがりな力の否定」という進歩的なテーマを掘り下げるには至らなかった、そんな印象である。グリスブリザードも三羽ガラスのロストボトルの成分を使用していること、戦兎が最後に明かしたパーフェクトキングダムも危険なアイテムだということなどの、設定的な類似性を除いたとしても、この悲しい印象は覆らない。

 万丈に渡されたアイテムで変身しようとしたカズミンが失敗し、再度ブリザードナックルに手を伸ばす。彼の前に死んでいたと思っていた三羽ガラスが現れ、万丈が忘れていったフルボトルをカズミンに渡し(ここで「おい万丈てめえ!」とか言って一回空気を緩くさせる)、そのギャグのノリのままブリザードナックルを「手放し」、笑顔でパーフェクトキングダムに変身する…これは勝手な妄想だけど、それくらいは、しても良かったのではないか。もっと明確に、グリスブリザードを否定するべきだったのではないか。僕にはそう思えてならない。

 

 

 

 

S.H.フィギュアーツ 仮面ライダーグリス パーフェクトキングダム 約145mm ABS&PVC製 塗装済み可動フィギュア

 もしこの作品が、本編中の物語だったり、本編とは完全に違うパラレルワールドの物語だったとしたら、まだ許せたと思う。「またかあ…」とネガティブな感情を抱いたかもしれないし、「ある意味『ビルド』らしいな」と苦笑いしていたかもしれないが、少なくとも「やらない方が良かった」なんて感情は抱かなかっただろう。

 しかし残念ながら、『仮面ライダーグリス』は『仮面ライダービルド』最終回の正式な続きである。冒頭でも散々述べ、ここまで来る途中にもう一回述べた「作品の破壊」という大きな代償を払って、この作品は成立している。別に、それ自体に苦言を呈するつもりはない。ここ最近の仮面ライダーを見ればどうしても避けられないものだろうし、そもそも作品を見るうえでそのコンセプト自体を否定するような真似はしたくない。

 ただ、あまりにも浅かったのだ。「せっかくやるんだから」と、『クローズ』の時には確かに感じられた創作への熱意が、今作には足りていないように思う。今作が『ビルド』最後の映像作品として相応しいとは、払った代償に釣り合った意義があったとは、どうしても僕には思うことができない。