石動のブログ

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感想 アニメ版『真月譚月姫』 大胆なアニオリ展開は実を結ぶか

 

sasa3655.hatenablog.com

 約一年半前、僕は上の記事で漫画版『真月譚月姫』の感想を記した。その内容としては「ゲーム作品のひとつのルートでしかない(他のルートも合わせて作品としては完成する)原作のストーリーを忠実になぞった結果、物語として上手く着地できていない部分が目立ってしまっている」「しかし、その『物語としての不完全さ』をもエピローグでメインテーマに取り込んでいるため、作品全体としては満足度が高い」というものだった。キャラクターの心情描写等の細かい部分では「これ多分原作知ってる前提で記号化されてるな……」と型月初心者としては不満を覚える点が多かったものの、エピローグで原作の要素を取り入れて描かれていた強烈なテーマ性が(自分の中では)それらを上回っていたのだ。

 しかし、である。『真月譚月姫』というタイトルを冠した作品は、もうひとつ存在する。言うまでもなく、タイトルにもあるアニメ版『真月譚月姫』だ。原作ファンからの評価はまさに「絶賛」といった趣の漫画版に対して、アニメ版の評判は「月姫のアニメ化なんてなかった」と言われるまでに対照的だが(勿論、原作ファンだけどアニメ版も面白いやろ、という人も存在はする)、その賛否両論の嵐を見て僕が最初に思ったことは、「原作ファンはこう言ってるけど、漫画版で中途半端に原作を知ってる自分から見たらどんな作品なんだろうか」という問いだった。

 実は、アニメ版『真月譚月姫』は、原作ファンからの評価が賛否両論である一方で、初見の人には割と好意的に受け止めることが多いのだ。この状況は、原作ファン一押しの漫画版が『月姫』未見の僕には色々気になる問題点を孕んでいたのとは全く逆の構造を呈していて、僕は見る以前から「原作ファンに向けたのが漫画版で、初見の人により楽しんでもらおうと思ったのがアニメ版なのではないか」というイメージを持ち始めていた。そこで気になってくるのが、先ほどの問いである。

 初見ではなく、かといって『月姫』のファンかと言われるとそうでもない自分は、アニメ版『真月譚月姫』を見てどう感じるのか。そんな、作品そのものの内容とはなんら関連しないものから由来している問いにドキドキしながら、つい最近、アニメ版『真月譚月姫』を視聴した。

 「ああ、なるほど」。見終えた時の僕の胸の中に去来した感情で最も大きな割合を占めていたのは、そんな納得感だった。なるほど確かに、これは評価がわかれるであろう。賛否両論になるのも納得だ。なんといっても、その「個」が、原作ありの作品にしては強すぎる。

 

 

 

 (以下、ネタバレあり。また、『月姫』本編に触れたことがないため、アニメ版の評価の基礎として漫画版が主に影響しています。)

 

 

 

反転衝動

 アニメ版『真月譚月姫』の持つ、強烈な「個」。それは、頻繁に挿入されるアニオリ展開のことである。それをどう受け止めるか、是と感じるか非と感じるかが、恐らくはこの作品に対する賛否両論を生みだしたのであろう。そのアニオリ展開の中には、大別して二つの種類がある。

 二種類のアニオリ展開のひとつは、「尺の都合による展開の省略」である。これはアニオリ展開とは呼べないものかもしれないが、アルクェイドの過去の詳しい描写や、ネロとの戦いの詳細全般、志貴の『直死の魔眼』の設定が漫画版と比較して結構な量省かれているのだ。アニメの原作たる『月姫アルクェイドルートがどのくらいのボリュームかはプレイしたことがないためわからないが、原作に忠実らしい漫画版が全10巻ということを考えると、とてもじゃないが全12話というこのアニメの尺には入りきらない。その結果、なくても成立するような説明は省いていこうという判断になったのかな、ということは推測できる。

 ただ、これに関しては、先述のように「尺の都合」、しかも誰がどう見ても原作通りでは12話という話数には入らないとわかる状況でのものなので、これを取り立てて不満だと感じる人は少ないだろう。自分の好きなシーンがなくて悲しい(僕の場合、ネロとの戦いの中での志貴の覚醒、シエルに「アルクェイドがどうしようもないほど好きなんだ」と伝えるシーン、ロアと志貴の見ている「死」の違い、等の好きな場面がなくなっていていた……)という場合は非常に多く発生したとは思うが、だからといって黒歴史と断じられるほどのものではない。これではない、もう一種類のアニオリ展開が賛否両論に直結しているんだろうなと感じた。

 

 

蒼い咎跡

 それこそが、「原作のアルクェイドルートには影も形も存在しないアニオリ展開」である。アニメとしての一話のまとまりや演出の都合という観点で考えても明らかに必要量を超えた原作にはない展開が、アニメ版には挿入されているのだ。その描写には結構な尺をとっており、恐らくその代償としてアニメ化に至れなかった原作の描写も多く存在していると思われる。最もわかりやすいのが中盤での遊園地回で、漫画版を確認しても全く存在しない(一応、戦いが終わった後に約束したりはしているが……)にも関わらず、一話まるまる使って展開されている。

 恐らく、これが賛否両論の原因だ。言い方が悪いかもしれないが、アニメ版『真月譚月姫』は、原作に存在するシーンをそれなりに削っておきながら、削った尺を原作の名シーンのアニメ化ではなく謎のオリジナル展開(もしくは、アルクェイドの物語には必要ないはずの、『月姫』での他のヒロインのルートの展開)に費やしているのだ。原作ファンにとって、原作に携わっていない人間が、それだけで高い完成度を誇りある程度完成している原作を忠実にアニメ化することをせず、勝手に展開を足したり引いたりすることは、大きな反感を煽るような行為であるだろう。

 

 

 

朱の紅月

 しかし、である。ここで本題に戻ろう。僕は、アニメ版『真月譚月姫』を見てどのように感じたのか。なんということか、この作品の行った行為は、絶対的に「失敗」だと断じられるようなものだろうかと、僕は思ってしまったのである。それは、あまりにも作品が悪く言われるから擁護したくなった、なんて類のものではない。そのオリジナル展開が、しっかりとひとつの方向性を定めて為されていたと感じたからこそ、そんな思いが浮かんできたのである。

 僕がその「方向性」を感じたのは、先述の遊園地回に始まる一連の展開と、最終回Bパートの展開だ。

 先ほどは原作にはないのに尺とってる展開の例として挙げた遊園地回だが、実は、その回で描かれたシエルと秋葉の会話、シエルの遠野家に潜む魔の血への言及から、志貴には隠されていた遠野家の秘密を解き明かす展開へとつながっていくのである。これにより、原作のアルクェイドルートよりも詳細な遠野家の事情を視聴者は知ることができるだけでなく、秋葉の心情や設定が深く描かれ、アルクェイドルート(と、それを元にした漫画版)では上手い決着とはお世辞にも言えない落としどころになっていた(アルクェイドのお話なのであえてそうした)、志貴・秋葉・四季の関係性もお話の本筋に組み込むことが可能になっているのである。実際アニメ版『真月譚月姫』では、秋葉は四季のことも志貴と同じくらい思いやっているし、志貴は四季を優しさでもって「死」にいざない、遠野の魔の血とロアの呪縛から解き放っている。

 また、最終回Bパートに関しても、基本的には原作の展開をなぞっている中で、志貴は蒼崎青子と再会して感謝の言葉を伝えた後に自分の殺人の道具であるナイフを捨て、さつきは意を決してずっと想いを寄せていた志貴に告白し、志貴はアルクェイドとの別れの後に「いつかまた会える」という未来への約束を見出している。これもまた、原作のアルクェイドルートには存在しない展開だ。

 一見無関係なこの二つのアニオリには、ひとつの共通点がある。それは、「志貴の呪われた過去や運命を断ち切り、未来への希望を持たせている」こと。遠野家に関する決着を自分の意思でつけ、さらに自分の中に眠る殺人鬼としての才能とも決別した志貴。さらにその未来には、さつきの想いに応えて共に歩んでいく道も、アルクェイドとの「いつかまた会える」という約束も待っている。

 

 

月世界

 この、原作の美しいまでに悲劇的な結末とは真反対の「方向性」を持つラストシーンこそが、アニメ版『真月譚月姫』のやりたかったことなのではないか。最終回を見届けた僕には、まず最初にその考えが浮かんだのである。「蒼崎青子との再会」「さつきの志貴への想い」「遠野家の秘密」「志貴の中にある殺人貴としての能力」、原作に存在する要素を巧みに操り、原作とは全く異なる結論へと着地させる。未来への希望を持たせる、完全無欠のハッピーエンドへと持っていく。

 無論それは、必ずしも評価されることではないだろう。原作の悲劇的な結末を愛しているファンは多いだろうし、そもそもどうしようもなく訪れたアルクェイドとの別れを未来への約束に繋げるのは無理がある、という理屈上の問題もある。

 しかし、足りない尺の中でただ原作をなぞるのではなく、ひとつの作品としてのオリジナルな結末に至ろうとしたその姿勢は、僕の胸を打った。『月姫』のアニメとして望んでいたことは果たされなかったかもしれないが、ひとつの作品としての熱は、確かにそこにあったのだ。先述のようにハッピーエンドへ持っていくために使われた要素自体は元からあったこと、(戦闘シーン以外の)美麗な作画や綺麗なBGMなど、シンプルにアニメとしての満足度が高かったことも影響しているかもしれない。

 

 つまり、結論として、僕の目にはアニメ版『真月譚月姫』は制作陣の奮闘の結果として生まれた、熱意の塊のように写ったのである。月姫リメイクという伝説の作品の再来の前に、その伝説の一端に触れられて、非常に幸運だと思えた。

 伝説の再来まで、あと三日。この気持ちを保ったまま、楽しみに待っていよう。

 

 

 

 

月姫リメイクの感想はこちら

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