石動のブログ

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漫画版『真月譚月姫』の初見時の感想と、三周して得られた理解

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 どうも、石動です。

 実は新年早々に近所の書店で、ずっと欲しかった『真月譚月姫』の漫画版を手に入れることが出来たんですね。自分の大好きな、大袈裟に言うと人生観まで変えてしまったほどの作品である『Fate/stay night』のスタッフが、それを作る前に手がけていた伝説のPCノベルゲーム。大分前にリメイクの発表があってしばらく音沙汰がなく、他の媒体に移植されたこともないので、原作はプレミアがついてしまって今ではとても手が出せない状況で。

 違う媒体とはいえ、『月姫』を楽しむ機会を得ることができてとても幸運でした。しかもこのコミカライズ、原作プレイヤーや原作スタッフからの評判が非常に良い。これは期待していいだろうということで、張り切って全10巻を1月中に読み終えてしまったのですが…。

 というわけで、タイトル通り、語っていきたいと思います。この前置きでわかっていただけたとは思いますが、『月姫』に関しては原作未プレイの知識ゼロなスーパー初心者の感想なので、悪しからず。ここから下はネタバレです。

 

 

 

真月譚 月姫(1) (電撃コミックス)

 まず、読み終えた瞬間(一周目)の率直な印象を述べておくと、「あまりノれなかったなあ」といった感じでした。原作の武内絵をそのまんま漫画にしたような画風、型月らしい厨二的な展開をきのこ節を効果的に使って演出する手法など、見所も沢山あったのですが、全体としてはいまいちだった、という感想を抱いていたかな、と。

 キャラクターの言動や行動理由がどことなく記号化・省略されていて行動の意図を掴みかねる時があることや(原作知ってる人に向けた感じなのかな?)、やたらと主人公の志貴君が夢を見て過去を思い出すシーンが多すぎることなど、細かいところで気になったりする点もそこそこあったりするんですけど、最も大きな要因を考えた時、大きくふたつの要素について、自分は思うところがあったんじゃないかと思います。

 

 まずひとつ述べておくと、主人公──遠野志貴と妹の秋葉、そして秋葉の実の兄でありながら志貴の友達だった四季、この三人の関係性が物語の中で上手く着地できていなかったのが惜しい、という感情です。

 一応、転生したロアの魂が宿っている+元々遠野の血には魔が宿っているというダブルの要因で四季が暴走し、それを隠蔽しようとした四季の父が、遠野家に養子に来ていた志貴の記憶を操作し、遠野の長男として生きさせていた……という大筋はわかったし、その解明に至るまでの導線・演出も丁寧だったんだけど、ロアとして復活した四季は志貴を逆恨みしまくった末に復讐を果たして存在自体がフェードアウトしちゃってるし、秋葉は四季のことを考えるような描写が一コマくらいしかないし、主人公の志貴ですら「コイツを倒せばアルクェイドの敵はいなくなる……その事実だけで充分だ!」とその辺の事情を全部とっぱらって四季と戦ってしまうし、志貴に隠された秘密が作中において「ただの設定」としてしか機能してないんですね。キャラクターの心情とか、見せ場とか、そういった場面で爆発することがなく、ただただ「あるだけ」のものになってしまっている。

 そういう点で言えば、遠野家関連のモヤモヤとまではいかないものの、ロアのアルクェイドへの愛とも憎しみとも言えない感情もその端っこしか描写されてないし、シエル先輩とロアの因縁もあまり深いものに感じないしと、挙げていけばキリがない。とにかく色んな要素が、中途半端なところで終わってしまったんですね。

 しかし、このモヤモヤが生まれるのは当然と言えば当然で。『真月譚月姫』で描かれた物語は、 所謂「アルクェイドルート」でしかなくて、本来のゲームならまだまだ終わってないんですよね。原作は5つもルートがあるということで、単純計算で全体の5分の1しか『真月譚月姫』では見ることができない。

 

 それは同作者の『Fate/stay night』をプレイした自分にも痛いほどわかって、そういう系のゲームは「どのルートが好き?」とかそういう話になったとしても、結局のところ「全部のルートがあってこそ完成するんだよね」という結論に落ち着く。さっき挙げた不満点も、きっと遠野家関連の話は秋葉ルートとかでもっと深く、もっとドラマチックに展開されるのだろうし、シエル先輩の細かい心情描写はシエルルートで見ることができるんだろうし、ロアの過去なんかも、どこかのルートで描かれていくのだろう。『真月譚月姫』ではただのお手伝いさんだった翡翠さんや琥珀さんにも個別ルートが用意されているらしいので、作品の見方を根本から覆すような事実でさえ、まだ隠されているのかもしれない。

 だからこの点に関しては、言ってしまえば「しょうがない」んですよね。原作を知らないからなんとも言えないけど、複数のルートを混ぜて綺麗なひとつの結末に持っていくのはまずもって不可能だろうし、そうなってくると、自ずと「メインヒロインであるアルクェイドと、主人公の志貴のボーイミーツガール」というアルクェイドルートの本懐に焦点を当ててくる、という最適解が見えてくるし、その解を取らざるをえなくなってくる。ある意味で、その舵取りは賢い判断だとも言えるのです。

 

 ゆえに、この点に関してはきっぱりと諦めていました。なんか大絶賛されてるからもしかしたらルート複合とかも行ってるかも…とちょっと期待していたりもあったんですけど、この作品はそういう方向に向かっていったものではなかったんだ、と(もしかしたら『Fate/stay night』のアニメ版セイバールートみたく地味〜に行われていたのかもしれないが、上手くいってるようには感じられなかった)。

 しかし、これから書いていくもうひとつのモヤモヤと、それに対する理解を得られた今では、この不完全さですら、作品のテーマを描くための一部だったんじゃないかな、と思えるようになったのです。

 

 

 

 

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  最大の宿敵であり、共通の目的であったロアを倒した志貴とアルクェイド。しかし、ロアとの戦いでアルクェイドは大きな傷を負ったうえに、長年にわたって我慢し続けた吸血衝動を抑えきれなくなってしまう。

「俺の血を吸え」

 彼女と共にいるために、一緒に生きていくために、自らの手を差し出す遠野志貴

「志貴の血はいらないよ」

「俺の血を吸えない理由なんてあるのか?」

「…うん」

 しかし、彼女は笑顔で言い放った。

「好きだから、吸わない」

 そして、別れの時間はやってくる。

 アルクェイドは深い眠りについて、一生幸せな夢を見続ける。取り残された志貴は、彼女の決断を受け入れることが出来ないまま、「彼女を幸せにする」という望みを果たせないまま、せめて彼女の願いだけは叶えようと、抜け殻のように笑って生きていく。

『夜空にはガラスのような月だけがある。遠い、触れれば壊れそうな。

それをいつまでも──世が明けるまでいつまでも、見上げていた。

いつまでも────』

 

 これが『真月譚月姫』の連載時の最終回なんですが、初見ではこれに関して何の文句もなかったんですね。『直死の魔眼』を手に入れてしまったがために世界の脆さを知ってしまった志貴がやっと出会えた、心から美しいモノ。守りたいと思ったモノ。幸せにしたいと思ったモノ。彼にとってそんな大切な存在だったアルクェイドは遠くにいってしまって、志貴にできるのは彼女の想いを抱えて生きていくことだけ。

 そんな切なくも救われない、残酷な結末を、「月」と重ね合わせていく…その構図があまりにも美しすぎて、これまで不満タラタラだった僕も、そこそこ満足しちゃったりしたんです。元々志貴は普通のやつに見えてなかなかの世捨て人だし、アルクェイドを失ったら生きる希望もへったくれもないのは読んでてわかったので、そんな彼にあえてこの結末を背負わせるのはえげつねえなあ、と。

 ただ、この最終回のさらなる続き、有り体に言うと「真の最終回」的なものが、コミックス最終巻には収録されてるんですね。

 

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 さっきみたくセリフを混じえて説明すると2回連続でくどい文章になってしまうので、ぱぱっと説明しちゃうと、本編の何年か後、志貴がかつて自分を救ってくれた「先生」こと蒼崎青子と志貴がよくわからない(何があったかは一切説明されない)草原で再開し、彼女に自分自身の体が不出来であること、そのため寿命は刻一刻と迫ってきてることを再確認させられ、それでも人生を悲観せず、笑って彼女に別れを告げる。

「大丈夫ですよ、先生。俺たちは──生きてるだけで、幸せなんだ」

 この言葉と共に、先生と話している時より若干若い(ように見える)志貴がアルクェイドの眠りを覚まし、彼女と共に生きていくような情景が映し出される…と、こんな感じなわけです。

 

 最初にこれを読んだ時、僕はめちゃくちゃに混乱して。「え、何!? 結局ビターエンドかハッピーエンドかどっちなの!? 志貴は月を見上げ続けたんじゃないの!? 手まで伸ばしちゃったの!?」と様々な疑問が頭の中に渦巻いて大変でした。

 先程書いたように、色んな要素が中途半端に終わってしまった『真月譚月姫』で、唯一焦点を当てられ物語としてちゃんと着地した、志貴とアルクェイドの関係。それがまさか最後の最後でひっくり返ってしまったように感じたんですね。そこそこ納得していたラストだっただけに、戸惑いも大きい。

 でも、このラストが日本の作品にありがちな「悲しい終わりは良くないからハッピーエンドにしてみました」という趣とは全く異なるよなあ、とも感じていて。だってそれなら、志貴とアルクェイドが再開した時と、志貴とアルクェイドが別れた時の二つの場面を描かずに、前者だけに沢山ページ数を使えばいいわけですし。

 そして何より、「俺たちは──生きてるだけで、幸せなんだ」という志貴のセリフが、どこか自分の中で引っかかったんです。きっとこのセリフにはもっと深い意味がある。その場のノリだけのセリフではないはずだ、と。

 そしてその勢いのままもう一周、さらにもう一周、『真月譚月姫』全巻を読んでみて…そしてやっと、理解を得ることができました。

 

 

真月譚 月姫(9) (電撃コミックス)

 この結末を真の意味で理解するには、志貴とアルクェイドが抱えている過去と、本編中での二人のやりとりに注目する必要がありました。

 遠野志貴は、世捨て人です。幼い頃にある事件で「直死の魔眼」を手に入れて以来、人や物が内包する「死」「死期」を認識できるようになり、この世界がいかに危うく、脆いものであるかを知ってしまった。蒼崎青子魔眼殺しのメガネをもらい、それをかけている間は「死」が見えなくなった今は普通の人間を取り繕うことができてますが、本編での様々な事件を経た後にアルクェイドを失った際には、「これから笑って生きていく自信なんてこれっぽっちもない(意訳)」とまで言ってしまう。他にも、「死が視えたなら、正気でなんかいられない」などのセリフが象徴するように、彼はどこまでも世界を諦めてしまっている。

 アルクェイドは、吸血鬼でした。彼女をつくった真祖達によって、機械のように使われ、ただただ堕ちた同胞達を狩り続けてきました。それ以外に生きる目的などなく、彼女にとって、それ以外の全ては全くの無駄。頭の中の知識としてしか存在せず、感情だって必要とされなかったのです。

 こうして見ると、「世界に価値があると思えないような状況にあった」という点で、二人は意外と似たもの同士であるように思えます。世界の死を実感できてしまう少年と、世界に自らの目的以外の価値を見出すことを許されなかった少女。この二人が出会い、変わっていく物語が『真月譚月姫』なんですね。

 本編での志貴とのやり取りで、アルクェイドは知識でしか知らなかった世界を経験し、実感していく。そんな彼女を見て、志貴は彼女に普通の幸せを知ってもらおうと奮闘する。その中で、こんな会話が交わされます。

 

「どうして? 貴方たちの時間は短いんだからそんな無駄なことをしている時間はないはずなのに…」

「そんなに悪いことか? 無駄だっていいんじゃないか?

ここで習ったことが使われなくなっても、それはそれで日々の名残になるだろ?

苦笑しながら思い出せる出来事ならそれはそれで意味はあるよ。

八年前の事故以来…そう思ってる。ただ生きてるだけだって楽しい…ってね」

 

 そう。志貴は確かに世捨て人です。この世界を諦めてしまっている人間です。でも、そんな彼だからこそ、生きているだけで楽しいのだと思っているたとえ継ぎ目にナイフを入れるだけで簡単に壊れてしまうほど、世界が脆くても。たとえ世界が「死」を内包している、永遠ではないモノだったとしても。いつか消えてしまう、無駄なモノだったとしても。

 

 その信念に従っているから、彼は機械のように生きてきたアルクェイドに感情を与えることが出来たのです。世界を肯定しているから、彼は「使命」とか「運命」とかの「意味があるモノ」しかアルクェイドに与えなかった真祖達や、志貴との出会いで変わったアルクェイドを「汚濁したモノ」「くだらない存在に成り果てた」と呼んだロアに怒りを抱くのです。「あいつが実際に感じた、嬉しかった、楽しかったって気持ちは、絶対にくだらないことなんかじゃない」と、声を張り上げるのです。

 

 

真月譚 月姫(10) (電撃コミックス)

 それを念頭に入れると、僕が初見時飲み込むことができなかったあの「真の最終回」が描かれた意図もわかってきます。一度は結末としての美しさや志貴の持つキャラクター性の負の面に焦点を当てたエンディングを迎えた『真月譚月姫』を、別の視点で完結させたのがあの結末なんだろう、と。

 別れの際に、「笑ってこの世界を生きていく」という、ある種の呪いのようなモノを背負わされた志貴が、その約束を守り、無駄ばかりで頼りない世界を生き抜いた。それどころか各地を飛び回り、アルクェイドの吸血衝動を抑える策を見つけ、彼女の眠る場所にたどり着いた。そして、その手を取った。

 

 勿論、全ての問題が解決した訳ではありません。志貴の直死の魔眼の力はどんどん強くなっていくし、アルクェイドの吸血衝動を抑える策だって明確には描かれていない。志貴の寿命が短いのはどうすんのとも思いますし、アルクェイドと聖堂教会の対立とかもちょっと心配だし(志貴にアルクェイドの居場所を教えたのは聖堂教会所属のシエル先輩ですからね…まあ高い地位にいるし組織に無理やり吐かされたりはないと思うけど)、秋葉や翡翠さん、琥珀さんを置いてって志貴何やってんだ、というところもあります。メタいことを言うと、自分は『真月譚月姫』で判明した事実しか知りませんが、最初に書いたように、きっと原作では他のルートでしか明かされない事実とかもめちゃくちゃあって、それが二人の安穏を妨げる要因になりうるかもしれない。

 でも、それでも、二人は一緒に生きることを選ぶのです。たとえいつか別れることになってしまっても、世界が脆いものであったとしても、その決意が無駄になることがあったとしても、この物語が、不完全だったとしても、少しでも一緒にいることをとるんですね。

「生きてるだけで、幸せなんだ」

 そして最後に、この言葉が読者に提示される。彼らの生き様を、結末を見せつけてからのこれ。中盤に一度こんな感じのセリフが出た時とは段違いの重さをもって、このテーマが読者の心に突き刺さっていくわけです。

 

 

 この理解を得た瞬間に、僕の中で『真月譚月姫』は真に完結しました。割と中盤でまんまなセリフが登場したりして、なんでこの考えに至るまで三周もかかったんだろう…と凹んだりもしたんですが、とにかく自分の中でひとつ落とし込むことができて良かったです。

 序盤で述べた不満だった部分も、もしかしたら物語自体をわざと不完全にすることで、「生きている(そこに在る)だけで、幸せなんだ」というメッセージを強調させるためのものだったりして…という風にも思えてきて(それはそれとして心情描写が薄いのは普通に欠点だとは思う)、結局『真月譚月姫』を文句なしに好きになってるなあ、と。やっぱり、一度型月に染まってしまった人間はひたすら沼に落ちてゆくのかもしれない。

 というわけで、今回はここで筆を置かせていただきす。完全に自己満足の記事ですが、読んでくださったあなたの、『真月譚月姫』の理解の手助けになってくだされば…。

 

 

 

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